ブランド再興を導いた立役者 ベントレー・コンチネンタルGT 3世代を振り返る(1)

公開 : 2023.09.20 19:05

2ドアのグランドツアラー、コンチネンタルGTが誕生してから20年 伝統と最新技術、遊び心が融合 3世代を英国編集部が振り返る

ベントレーを大きな成功へ導いた立役者

2023年の上半期を見ると、ベントレーは1か月平均で1182台の車両を販売している。ところが2003年は、年間で1017台だった。この20年間で、ベントレーには巨大な変革が起きたといっていい。その主役を担った1台こそ、コンチネンタルGTだ。

壮観な装備にW型12気筒エンジンを搭載したグランドツアラーは、ベントレーを過去にない成功へ導いた立役者といえる。104年もの歴史を持つ同社だが、これまでに生産したクルマの台数の半分を、コンチネンタルGTが占めるという。

ベントレー・コンチネンタルGT(初代/2003〜2010年/中東仕様)
ベントレー・コンチネンタルGT(初代/2003〜2010年/中東仕様)

現行型は3代目となり、最近フェイスリフトを受けたばかり。スタイリングに手が加えられ、トリムグレードも見直されている。だが3世代を並べてみると、基本とする哲学や印象が、大きくは変わっていないことに感銘を受ける。

コンチネンタルGTの物語は、1998年に始まった。フォルクスワーゲン・グループが、BMWのスキを突くカタチでベントレーを買収。当時4億9700万ポンドという金額は、年間414台しか生産していなかった自動車メーカーとして、かなりの評価だった。

そして、さらに5億ポンドを投資。生産工場を一新させ、1931年以来となる、ブランド独自のモデル開発が始まった。

ベントレーは、以前から収益性の高い量産モデルを模索していた。1994年には、BMWのプラットフォームを利用した上級サルーン、コンセプト・ジャバを発表している。

VW由来の6.0L W12気筒ツインターボ

しかし新体制のもと、着手されたのは2ドアで4シーターのグランドツアラー。従来より大幅に価格帯を下げることで、間口を広げることが狙われた。

設計から製造までが、グレートブリテン島の中西部、クルーに準備された真新しい設備で進められた。過去のベントレーが名乗っていた、歴史ある名前が与えられた。ドイツ譲りのコンポーネントを、英国車らしいスタイリングが包んだ。

ベントレー・コンチネンタルGT スーパースポーツ(初代/2009〜2010年/英国仕様)
ベントレー・コンチネンタルGT スーパースポーツ(初代/2009〜2010年/英国仕様)

初代と2代目がベースとしたのは、フォルクスワーゲン・フェートンも採用したD1と呼ばれるプラットフォーム。現行型の3代目では、ポルシェパナメーラと同じMSBプラットフォームを基礎骨格にしている。

エンジンも、フォルクスワーゲン由来となる6.0L W12気筒ツインターボガソリン。1998年のサルーン、ベントレー・アルナージには電子制御ユニットが6基実装されていたが、コンチネンタルGTには35基も積まれていた。

AUTOCARでは、初代コンチネンタルGTへ少々辛口の評価を与えた。過去のベントレーより動力性能や操縦性が優れるとしつつも、従来より小さく手頃なモデルを開発するに当たって、それまでの魅力や印象といったものが薄くなった、とまとめていた。

もちろん、2023年の評価はまったく異なる。2003年に発売された初代コンチネンタルGTは、ブランドの変革をプロダクトで体現していた。ベントレーを復活させただけでなく、以前までのイメージを一新させたモデルだった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ジェームス・アトウッド

    James Attwood

    英国編集部ライター
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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