特別企画

2018.07.31

ベントレー、意匠のインスピレーションどこから? デザイナー語る過去と未来

 
ベントレーのデザイン部長、ステファン・ジーラフがロンドンの街を歩き回った。ロイヤル・カレッジ・オブ・アートの学生だった頃、彼に刺激を与えた街だ。ヒルトン・ホロウェイが一緒に街を歩き、発想の源を探った。

AUTOCAR JAPAN sponsored by ベントレー・モーターズ・ジャパン

text:Hilton Holloway(ヒルトン・ホロウェイ)
photo:Stan Papior(スタン・パピヤー)

もくじ

ベントレーのデザイナーになるまで
そしてロンドンへ
「おいしい」ロンドン
マリナーという「希望」
番外編1 あしたのデザイナーの今
番外編2 イタリア的アプローチ

ベントレーのデザイナーになるまで

ステファン・ジーラフの知っているロンドンは、30年前に彼が初めて訪れた時から大きく変貌した。テート・モダンの新しいブラバットニク・ビルの上から眺めれば一目瞭然だ。

ロンドン市を見渡す驚くべき景観は、1980年代からは想像もできなかったもの。ヤッピーが闊歩していた時代。ロンドンを世界で最も重要な金融セクターに仕立て上げた「ビッグバン」が行われた時代だ。

もちろんジーラフがこの首都に住んでいたころは、テート発電所もバタシー発電所もテムズ川南岸の古ぼけた廃屋に過ぎなかった。最近、彼は週末にしばしばロンドンを訪れる。

ベントレーのデザイン部長(フォルクスワーゲン・グループのインテリアデザインを監督する立場でもある)である彼を英国流の考え方に惹きつけたのは、ごちゃごちゃしたビルと様々な様式の混じりあったこの景色だという。

1988年、自動車デザイナーになるというジーラフの野望は進み始めた。最高レベルの自動車デザインを勉強できるところは2カ所しかなく、そのうちのひとつがケンジントンのロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)だった。オックスブリッジでデザインの教育を受けることは、熾烈な競争を考えると至難の業だった。

55歳になるジーラフはミュンヘンで育った。人里離れた生活だったという。「当時、ドイツはまだ東西に分かれており、米軍はバイエルンに駐屯していました」と続け、さらに「わたしは米軍を身近に感じながら育ちました。米国流のスタイルは確かに西ドイツに影響を与えたと思います」という。

RCAに入学する5年前、ジーラフは6カ月間BMWで実習生として働いた。「1983年と84年、現場のインターンとして自動車製造に関するいろいろなことを学びました。例えば、朝5時に始まる鋳造部門で1週間働いたり」

自動車産業の仕組みを深く考えようとしたジーラフは、BMWのデザインスタジオに足掛かりを得ようとしたがうまくいかなかった。

「そこでアウディに話を持っていき、1985年アウディ・デザインで6カ月間実習生として働くことにしたんです。夏の間ずっと」。当時、辺鄙だったインゴルシュタットは「他とはとても違っていました。つつましくてロマンチックな感じでした」

そこで彼はアウディで仕事を始めようと考える。

「アウディのデザイントップはハートムット・ヴァルクス、わたしの最初のボスです。そしてペーター・シュライヤーがわたしの指導者でした(1990年代のアウディで強い影響力を持ち、今ではキアのデザインヘッドである)。彼らが言うんです。『君はRCAに行ったほうがいい。あそこは最高だよ』って」

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