特別企画

2019.03.04

「ベントレー・ボーイズ」とは? ある男と「The Autocar」、ベントレーの蜜月

2019年、ベントレーは1919年の創立より100周年を迎える。壮大なヒストリーにスポットを当てる連載コンテンツ、第1回目は「ベントレー・ボーイズ」とベントレー、そして、われらがAUTOCARについて掘り下げる。

AUTOCAR JAPAN sponsored by ベントレー・モーターズ・ジャパン
text:Takuo Yoshida(吉田拓生)
photo:ベントレー・モーターズ

もくじ

100周年を迎えたベントレー
レーサー、ジャーナリストの功績
AUTOCARが祝したル・マン優勝

100周年を迎えたベントレー

イギリスの家屋は築300年を越えないと古いとは言わないらしいが、とはいえ、1つの会社が100年続くことは容易ではない。それが急速に進化を果たしたモータリングシーンであればなおのことである。

1919年に産声を上げたベントレーは今年、創業100周年を迎える。彼らは1世紀という時間の中で、イギリスが誇る高級サルーン、グランドツアラーの確固たるポジショニングを確立し、伝統を積み重ねてきたのである。

戦前から戦後、そして21世紀の今に至るまで、そのアーカイブには象徴的なモデルがきら星のごとく並んでいる。だが栄光の歴史の起点として、草創期のベントレーと密接なかかわりをもった人物について言及しないわけにはいかないだろう。

貴族階級の子息として生を受けながら、内燃機関に対する飽くなき探求心によって稀代のエンジニアとして評価されたウォルター・オーウェン・ベントレー。親しみをもってW.O.と表記されることが多い彼のクルマ作りに対する情熱と人柄に惹かれた人物は数多いる。

メーカー設立から10年以内に、4年連続を含む5度のル・マン24時間レース優勝という大金星をもたらした「ベントレー・ボーイズ」もまた、W.O.とともにベントレーの躍進に大きく貢献した男たちとして知られている。

現代的に表現するならば、彼らはワークスチームのドライバーということになる。だがその実態は彗星の如くシーンに登場した高性能車であるベントレーを駆る15人ほどの裕福なファナティックに過ぎなかった。

ある者は貴族にしてレーシングドライバー、またある者は医者や学者であり、ベントレーの会長職も務めた人物も名を連ねていた。さらに興味深い事実は、ベントレー・ボーイズの中心メンバーに、AUTOCARのスポーティングエディターがいたことだろう。

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