「ベントレー・ボーイズ」とは? ある男と「The Autocar」、ベントレーの蜜月
2019.03.04
レーサー、ジャーナリストの功績
サミー・デイビスことシドニー・チャールズ・ホートン・デイビスはロンドン大学卒のインテリであり、ダイムラーの設計技師としてキャリアをスタートさせている。
AUTOCARの編集部には当初テクニカルイラストレーターとして入ることになったが、モーターレーシングに没頭するなど多彩な人物でもあったデイビスはすぐにテスターとしても重宝され、スポーティングエディターとなっている。

ACやアストン マーティン、サンビームやアルヴィスといった錚々たるイギリス車をドライブし、レーサーとジャーナリストを高いレベルで両立したデイビスだが、彼の名を世に知らしめたのはやはり、ベントレー・ボーイズとして1927年のル・マンに、ベントレー3リッターを駆って優勝した事実だった。
当時のル・マンはクルマもドライバーにも厳しい、まさに生き残りをかけた戦いだった。シャシーとエンジンともに、巌のような信頼性を誇ったベントレーでも他車のクラッシュに巻き込まれてしまえば一巻の終わりである。

実際に1927年のル・マンではワークスエントリーした3台のベントレー全てがクラッシュの憂き目にあい、ダメージの大きかった2台がリタイアを喫している。
サミー・デイビスとペアを組んだJ.ダドリー・ベンジャフィールドは細菌学者として活躍するインテリだった。彼らはクラッシュによってスピードが削がれてしまった愛機を丁寧にドライブし、薄氷を踏む思いで漆黒の闇を駆け抜けたのである。