特別企画

2019.04.11

100年前のクルマ雑誌 ベントレーをどのように伝えた? 誌面を振り返ってみた

ベントレーとAUTOCARの蜜月

第1回ル・マン24時間に、J.F.ダフとフランク・クレメント組が走らせたベントレー3Lは、4位に入賞した。

その後のル・マンでのベントレー・ボーイズの活躍は、別稿で詳しく語られている通りだが、1924年にル・マン24時間をベントレーが初制覇した頃になると、AUTOCARの誌面にも大きな変化が現れてくる。

ベントレー本社ばかりか、タイヤを供給していたレイプソン社やスパークリングプラグなど、広告が数多く現れるようになったのだ。

24時間を全力かつノートラブルで走り切ることのできる耐久性と信頼性は、読者の大きな関心事で、ベントレーは身をもって証明したメーカーの先駆だったのだ。

1925年6月19日号では新型6気筒を積むベントレー、つまりより高性能化したニューモデル、6 1/2Lの詳細なレポートをAUTOCARは載せた。

ただしこの頃になると、ベントレーの成功に対してライバル・メーカーも黙っていなかった。

1926年の7月2日号にはロレーヌ・ディートリッヒのロンドン・ディーラーが、ル・マンで6位に沈んだベントレーに対し、1-2-3フィニッシュを飾ったとの派手な広告を打っている。

メーカーがイメージ戦略の上で鎬を削る檜舞台=ル・マンという構図がこうして出来上がっていたのだ。

同じ頃のAUTOCAR誌面では、ベントレー3Lの、詳細なケア&メンテナンス企画がスタートしている。後の自動車雑誌で定番といえるこの企画は全24回、いまだ貴族的だったとはいえ20年代の英国のモータリストの間でベントレーが数多く支持された証でもある。

ベントレーとAUTOCARは、英国で今日的なモータリング・ライフが成立するのに、互いに切り離せない存在だったのだ。

ベントレー 100年間で起こったこと、100年目にしかないもの

100年におけるベントレーの歴史。革新を振り返り、100年目にしか手にできないものを知る。

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