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2019.04.11

100年前のクルマ雑誌 ベントレーをどのように伝えた? 誌面を振り返ってみた

ベントレーが創立100周年を迎えた今年。1895年創刊のAUTOCAR(当時は「The Autocar」)が、ベントレーをどのように伝え、またその高性能を讃えていたのかを、英国に保存されているアーカイブを掘り起こし、振り返る。

AUTOCAR JAPAN sponsored by ベントレー・モーターズ・ジャパン
text:Kazuhiro Nanyo(南陽一浩)

もくじ

ベントレーの創成期から黄金期へ
モータースポーツにおける活躍
ベントレーとAUTOCARの蜜月

ベントレーの創成期から黄金期へ

ベントレーの名が英国のAUTOCAR本誌(当時は「The Autocar」名義)に、登場するのは1919年の3月8日号。

W.O.ベントレー海軍大佐とF.T.バージェスが新しいクルマの設計に乗り出した、という内容だった。

当初はW.O.ベントレーについて、「B.R.2エンジンに関して政府に報償を求めている海軍大佐。ブルックランズではD.F.P.(ドリオ・フランドラン・エ・パラン、30年代に消滅したフランスの自動車メーカー)に乗っていることで知られた顔」と、やや辛辣だ。

B.R.2とは第一次大戦中に英国軍用機に採用されたロータリー・レシプロエンジン「ベントレー・ロータリー(B.R.)2型」のことで、ようは元軍人のエンジニアによる自動車は注目すべきながら、まだ海のものとも山のものともつかない、そんな調子だ。

1919年前半のベントレー3Lに関する記事は、現物がないままメカニズムとスペックをひと通り紹介したに過ぎない。

だが、好奇心が強い関心に変わるのは同年11月、ローリング・シャシーの展示会(当時、ボディ架装は専門のコーチワークに任されていた)の事前予想で、ベントレー3Lの写真が掲載されてからのこと。

「スポーティング・カーとしてベントレーにはあらゆる魅力が備わっている」と記される。

翌年1月の号では試乗インプレッションが掲載され、テスト・ボディを載せた3Lベントレーを駆るW.O.ベントレー本人の写真が、「車上には、成功した航空機エンジンの設計責任者」というキャプション入りで紹介されている。辛口で鳴るAUTOCARらしく、オイルポンプの音が目立つとは指摘しつつも、試乗記は「街中では扱いやすくオープンロードではレーサーのよう」と、絶賛で締め括られた。

登場した当初よりベントレーは、航空エンジニアリング由来の高性能と、絶対的な信頼性そのものだった。

コンフォートとスピードという今日のベントレーにも通じる特長は、初のインプレッション記事ですでに指摘されていたのだ。

ベントレー100年の歴史を振り返るモデルといえば‥‥

コンチネンタルGT「ナンバー9」が登場。ベントレーが「特別」と表現する理由にせまる。

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