【燃料タンクがボディ】ソーキャル・スピードショップ・ベリータンク・レイクスター 前編

公開 : 2020.12.12 07:20

ソーキャル・スピードショップの創設者、アレックス・シディアスは最高速度を追求した時代のヒーロー。彼が生み出した戦闘機の燃料タンクをボディとするスピードマシン、ベリータンク・レイクスターをご紹介しましょう。

もくじ

カーカルチャーのスピードを追求した熱い魂
部品の販売店からカスタムショップへ
P-38ライトニングの燃料タンクがボディ
風洞実験から導かれたストリームライナー

カーカルチャーのスピードを追求した熱い魂

text:Greg Macleman(グレッグ・マクレマン)
photo:James Mann(ジェームズ・マン)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
アメリカン・カーカルチャーの中には、スピードを追求した熱い魂が燦然と輝きを残している。その代表格といえるのが、赤と白に塗り分けられたホッドロッドを生み出した、ソーキャル・スピードショップだ。

1940年代から1950年代にかけて、彼らが生み出したマシンはホッドロッド誌の表紙を5回も飾った。その中で特に注目に値するマシンが、ベリータンク・レイクスターだろう。1952年に200mph、321km/hの速度へと迫った、地上を突き進むミサイルだ。

ソーキャル・スピードショップ・ベリータンク・レイクスター(1952年)
ソーキャル・スピードショップ・ベリータンク・レイクスター(1952年)

このミサイルを生み出した人物こそ、アレックス・シディアス。ロサンゼルス出身で、ホッドロッド文化とともに人生を重ねた。「高校時代、ガソリンスタンドでアルバイトをしていました。夜になると、ホッドロッドに給油したものです」。とシディアスが振り返る。

「ホッドロッドのカスタマイズに関心を持つようになりました。特にマフラーのサウンドに、強く惹かれました。カーガイ、クルマ好きの入り口にいたのです」

「高校の向かいに有名なボディショップがあって、放課後にクルマがカスタマイズされていく様子を見るのが日課。職人の名前はジミー・サマーズ。誰よりも進んだ仕事をしていました」

「彼は1932年式の5ウインドウ・モデルのルーフチョップ(ピラーを切って屋根を低くするスタイル)が得意技。とても難しい処理です」。シディアスが記憶をさかのぼる。

「干上がった湖へも何度か足を運んで、走りを見物しました。その頃のヒーローは、ヴィック・エーデルブロック。32歳のロードスター・ガイで、ビジネスを始めたばかり。でも戦争で、すべてが休止に」

部品の販売店からカスタムショップへ

「わたしは飛行機の整備士になりたいと思い、航空部隊へ入隊。戦闘機のP-40やB-25、B-17の整備に関わりました」。幸運にも戦争は、シディアスが戦闘に加担する前に集結。1945年、数千人の兵士とともにカリフォルニアへ戻った。

当時の彼らには、1週間20ドルの配給があった。だが希望していた技術教育は受けられずにいた。「何をしたら良いのかわからない。そこで、スピードショップを思いついたんです。ロサンゼルスのカルバー・シティにあるショップから、名前が思い浮かびました」

ソーキャル・スピードショップ・ベリータンク・レイクスター(1952年)
ソーキャル・スピードショップ・ベリータンク・レイクスター(1952年)

「ソーキャルという名前も、その時決めました。アメリカではクルマ好きに知られるワードですが、思いついたのはわたしです」

シディアスは1946年に結婚。ロサンゼルスに、ソーキャル・スピードショップを創設した。ビジネスはゆっくりとスタートしたが、数名のホッドロッド・スターを呼び寄せた。

「必死でしたよ。シリンダーヘッドやマニフォールドは高すぎて、在庫する余裕もない。安価なクロームメッキのキャブレター部品やキャップナットの販売で稼いでいました。でも、退役した男たちがロードスターを買い始めたんです」

「干上がった湖に大勢が集まって、スピードを求めて走るようになりました。油圧計の需要が増え、スチュワート・ワーナー製のメーターが重要なアイテムに。ビジネスの支えになりました」

スピードショップは、徐々に軌道に乗る。エンジンのリビルドなど、カスタマイズの範囲も広がった。「販売店で始まりましたが、レース出場の必要性に気づいたんです。ソーキャル・スピードショップという名前ですからね」。シディアスが笑う。

関連テーマ

人気テーマ

 

人気記事