【燃料タンクがボディ】ソーキャル・スピードショップ・ベリータンク・レイクスター 後編

公開 : 2020.12.12 16:50

ソーキャル・スピードショップの創設者、アレックス・シディアスは最高速度を追求した時代のヒーロー。彼が生み出した戦闘機の燃料タンクをボディとするスピードマシン、ベリータンク・レイクスターをご紹介しましょう。

もくじ

デイトナ・ビーチでストリームライナーは大破
ベリータンク・レイクスターを再び制作
ヘミエンジンを載せたレイ・ブラウンのマシン
ペブルビーチ・コンクール・デレガンスでの受賞

デイトナ・ビーチでストリームライナーは大破

text:Greg Macleman(グレッグ・マクレマン)
photo:James Mann(ジェームズ・マン)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
1949年、真新しいストリームライナーがボンネビル・ソルトフラッツに到着。途中、ソーキャル・スピードショップのチームは事故に会い、マシンのフロントが損傷。補修された状態だった。

ボディが応急処置の状態でも、ストリームライナーは強さを実証。初めから251km/hを残す。「当時のクラスCの記録は、257km/h。チームが310km/hに迫ったとき、世界中に衝撃を与えました。そこまで記録が伸びると思っておらず、自分でも驚きました」

ソーキャル・スピードショップ・ベリータンク・レイクスター(1952年)
ソーキャル・スピードショップ・ベリータンク・レイクスター(1952年)

往復走行の行きと帰りの平均速度は、189.745mph(305.36km/h)。クラCスとしては圧倒的な速さだった。1950年には、321km/h近くまで記録が伸びる。さらにアウトウニオンのマシンが219mph(352.45km/h)の国際記録で、塗り替えてしまうのだが。

アメリカのストックカーレース、NASCARの創設者でもあるビル・フランスは、デイトナ・ビーチで走らせる計画をソーキャル・スピードショップへ持ち込む。濃い空気で、さらにパワーを引き出せるとシディアスも考えた。

「話を聞いて興奮しましたが、砂浜は期待ほど良い場所ではありませんでした。路面は少し硬いものの、波打っていました。天気や風も不安定。絶望感もありましたが、愚かにも走ることを決めたんです」

「加速していくと、路面の起伏でクルマが浮き上がり、車体の下へ風が流入。マシンは大破です」

「幸い、ドライバーのビル・デイリーは生き残りました。クルマはボディの損傷がひどく、切断しました」。クラッシュしたストリームライナーは、スクラップとして4ドルで売却。チームは西海岸へ戻った。

「ストリームライナーの大破で、かなり落ち込みました。何も手がつかないほど。考えを整理する必要がありました」。と回想するシディアス。

ベリータンク・レイクスターを再び制作

ストリームライナーの再制作には、かなりの予算が必要。レースを諦められないシディアスがショップの天井を見上げると、古いベリータンクのボディが目に入った。「もう一度、レイクスターを作ろうと決めたんです。カスタムビルドのフレームを組んでね」

以前のフォード・モデルTのシャシーとは異なり、軽量で強固なシャシーが組まれた。設計したのは、ソーキャル・スピードショップで働いていたデビッド・デラングトン。

ソーキャル・スピードショップ・ベリータンク・レイクスター(1952年)
ソーキャル・スピードショップ・ベリータンク・レイクスター(1952年)

リアにはハリブランドのクイックチェンジ・セクション、フロントにはモデルA用のアスクルに、横置きのリーフスプリングが選ばれた。「デビッドは部品に穴を開けて、軽量化を図りました。ブレーキのバックプレートも削ってあります」

「シャシーをクロームメッキで仕上げていない点も、ユニークです。ボディは、より地面に低く座れるように底面をカット。プレキシガラス製のコクピット・キャノピーは、レーシングプレーンからの流用です」。ステアリングホイールは、P-38の操縦桿だ。

1952年、ソーキャル・スピードショップのベリータンク・レイクスターは開発のピークを迎える。1週間のボンネビル・スピードウィークが始まる。ソーキャル・スピードショップのチームは遅くまで働き、暑い日差しの下でレースを戦った。

エンジン交換は、モーテルの駐車場。「ボンネビルで3基のエンジンを使い、クラストップを3度掴んでいます」。シディアスが振り返る。新しいシャシーはA、B、Cの3クラスで勝利を収めた。

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