戦前の英国スポーツ フレイザー・ナッシュ エース・パイロットが駆ったTTレプリカ 前編

公開 : 2022.08.27 07:05

1人のエース・パイロットがオーナーだったフレイザー・ナッシュ。彼の短い人生とともに、戦前の英国スポーツを振り返ります。

勇敢なパイロットが所有していたクラシック

特別な経歴を持つ人物がオーナーだったビンテージモデルを所有することは、他では得られない貴重な体験を与えてくれる。ロンドンに拠点を置くクラシックカー・ディーラーを営む、ピーター・ブラッドフィールド氏は実際にそれを経験する1人だ。

20世紀前半に存在したインヴィクタ社のモデルで、かつて英国空軍の飛行場だったグッドウッド・サーキットを楽しんでいる。「会場までクルマで自走し、当時のスタイルでレース・イベントに参加するんですよ」

フレイザー・ナッシュ TTレプリカ(1932〜1938年/英国仕様)
フレイザー・ナッシュ TTレプリカ(1932〜1938年/英国仕様)

「レース前の車検を受けるために、かなり早く出発する必要があります。80年前の様子を思い浮かべながらね」

第二次大戦中、勇敢なパイロットだったオリバー・バートン・ジェームズ氏が所有していたのが、フレイザー・ナッシュ TTレプリカ。BMK 102のナンバーを付けたクラシックのステアリングホイールを握ると、ブラッドフィールドの気持ちを理解できる。

彼とともにレストアを手掛けたのが、現オーナーのパトリック・ブレイクニー-エドワーズ氏。2人は、その過程で明らかになった映画「大脱走」のようなジェームズの人生にも、強く惹かれたという。

欧州全体の雲行きが怪しくなっていた時代に、ジェームズは兄のアレックス、レスリーと連れ立ち、パイロットを志願して英国空軍へ登録した。18歳で訓練生に選ばれた彼は、タイガー・モスで初めて単独飛行。自らの希望を実現させた。

仲間の将校から譲り受けたTTレプリカ

記録によれば、ジェームズは幼い頃から空を飛ぶことを夢見ていたようだ。飛行技術を認められ、ほどなく軍曹に昇進。グレートブリテン島の東部、リンカンシャー州スキャンプトンに拠点を置く第83飛行隊に配属された。

初任務は、ハンドレページ・ハンプデン爆撃機によるドイツの夜間爆撃。極めて危険な飛行だった。1920年代に夫を亡くし、3人兄弟を1人で育て上げた母は、さぞかし心配だっただろう。

フレイザー・ナッシュ TTレプリカと、第二次大戦時のホーカー・ハリケーン戦闘機
フレイザー・ナッシュ TTレプリカと、第二次大戦時のホーカー・ハリケーン戦闘機

その頃のジェームズは、移動手段としてバイクに乗っていた。グレートブリテン島南部のソールズベリーにある実家へ、定期的に帰っていたという。程なくして、仲間の将校からフレイザー・ナッシュ TTレプリカを譲り受けた。

ボディはブラウンとアイボリーのツートーン。BMK 102のナンバーで登録され、メドウズ社製のエンジンを搭載した1934年式で、ジェームズはフレディというあだ名で呼んでいた。愛犬のテリアを助手席に乗せ、冒険的なドライブを楽しんだという。

だが、ボンネットを開けてエンジンの様子を確かめることは、あまりしなかったようだ。戦時中はガソリンが品薄で、長時間エンジンを回していると異常燃焼を起こすことも珍しくなかった。

ある日、メドウズ・ユニットは郊外の道でコンロッドが抜けてしまった。だが、通りかかった大型トラックのドライバーが、フレイザー・ナッシュを牽引してくれた。ロンドンの西にあるアイルワースの修理工場までは、130kmほどあった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ミック・ウォルシュ

    Mick Walsh

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ウィル・ウイリアムズ

    Will Williams

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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