LANCIA LUNCH 2016

2016.10.23

text & photo:Hirosige Hiramatsu (平松宏茂)

 
去る10月23日にランチア・クラブ・ジャパンの年次総会的イベントである、ランチア・ランチが裾野にある帝人アカデミー富士において開催された。会場となった帝人アカデミー富士は旧帝人富士研修所であり、ランチア・ランチはもとより各種自動車イベントの会場としてはお馴染みの場所で、ランチア・ランチとしては当所での開催は2年ぶりである。

名称変更に伴い、日本サッカー協会の運営する育成所であるJFAアカデミー福島(東日本大震災により静岡に一時移転中)の施設を兼ねることとなり、これまでイベントで使用されていた富士山を望む絶好のロケーションの芝生は、サッカー場となり使用できなくなってしまった。

そのため会場は南東に隣接する芝生となった。新たな会場は富士山こそ望めないものの、適度なアンジュレーションがあって立体的な展示ができ、また名物のメタセコイアの並木道はこれまでどおり使用できるため、例年以上のシチュエーションが確保されていたといえるだろう。

今回のランチア・ランチはベータ・シリーズをテーマとし、65台のランチアが絶好のイベント日和の富士に集結した。9時の開会ののち、午前中はベータ・シリーズの中で今回集結したベータ・クーペ、ベータ・モンテカルロ、そこから派生したラリー037、ベータ・トレヴィの各車が紹介され、オーナーの苦労話をネタに各所に歓談の輪ができた。

ランチの語源ともなった昼食を伴った懇親に引き続き、有志のオーナーによる恒例のランチア・タクシーが行われた。参加者は興味のある車の助手席に乗り、実際の乗り味やオーナーの生の話を聞くという体験を大いに楽しんだ。

会のクライマックスはベータ・シリーズ全車によるパレード・ランで、メタセコイア並木の中を走るベータ・シリーズは、ある種の荘厳ささえも感じさせるもので参加者一同からは歓声が上がるほどであった。

これまた恒例となっている大抽選会の後閉会となり、秋の穏やかな日差しのもとランチアを満喫できた一日となった。

  • 1976年型ベータ・モンテカルロSr.1。1975年のジュネーブ・ショーで発表された2座量産ミッドシップ・スポーツカー。ベータ系のコンポーネンツを流用し、ピニンファリーナによるスポーティでありながらランチアらしい上品なボディが与えられた。

  • 1982年型のベータ・モンテカルロ(Sr.2)。1980年のマイナーチェンジにより、フロントグリルがいわゆるランチアの盾形となり、後方視界確保のためリア・クウォーター・ウインドが追加された。ホイールも14インチに大型化され、ブレーキも強化された。

  • 1983年型ベータ・トレヴィ2000ヴォルメックス。ベータ・ベルリーナは1980年にピニンファリーナがリデザインしベータ・トレヴィになる。1983年にはヴォルメックスと呼ばれるスーパーチャージャーを搭載したトレヴィ・ヴォルメックスが登場した。

  • 鮮やかな水色が印象的な1984年型ベータ・クーペ。1972年にデビューしたベータ・シリーズ最初の派生車が1973年のフランクフルト・ショーで登場したクーペ。自社製の流麗なクーペ・ボディは人気を博し、ベータ・シリーズでは最多量産車種となった。

  • 1982年型ラリー。WRCを戦うストラトスの後継機。ベータ・モンテカルロのセンター・モノコックを流用し、前後にチューブラー・フレームを組みFRPのカウルが与えられた。アバルトのチューニング、ピニンファリーナのデザインとマニア垂涎の一台。

  • 1946年型アルデア。今回の参加車両の中で最古参の一台。1939年にそれまでボトムレンジを担っていたアプリリアのさらに妹分としてデビューした。上級モデルのアプリリアと同じテイストでまとめられており、ランチア社創業以来最大のヒット作となった。

  • 1948年型アプリリア。アウグスタの後継車として1936年のパリ・サロンでデビューした。ランチアらしい、まさに小さな高級車であり、当時としては最先端のフルモノコック・ボディ、4輪独立懸架、インボード式ブレーキなどが奢られた。創業者ヴィンチェンツォが最後に手掛けた一台でもある。

  • 1954年型アウレリアB20(Sr.3)。戦後初のランチアとしてヴィットリオ・ヤーノ指揮のもと開発された車が1950年に登場したアウレリアである。翌1951年に追加されたクーペはB20を名乗り、ピニンファリーナの優美なボディとともにまさにザ・ランチアといったGTとなった。

  • 1955年になるとアウレリアにはB24と呼ばれるオープン・トップ車が追加された。ともにピニンファリーナの手によるものであるが、アヴァンギャルドなデザインのスパイダーと、より現実的なコンバーチブルの2種が生産された。今回参加したのはコンバーチブルのタイプとなる。

  • 1959年型アッピア(Sr.3)。アルデアの後継車としてランチアのボトムレンジを担うクルマとして1953年に登場した。これまでのランチア車と同様小型車でありながら上級車であるアウレリアの技術とデザインがふんだんに盛り込まれ、10万台近く生産される大ヒット作となった。

  • 1962年型フラミニア・スポルト・ザガート。1955年にランチアはイタル・セメントのカルロ・ペセンティに経営権が譲渡される。1957年に登場したフラミニアはその新生ランチアの第一弾であった。1959年にはスポルトがデビューし、ザガートらしい空力を考慮したボディが与えられた。

  • フラミニア・スポルトは1963年になるとスペル・スポルトへ進化する。3キャブレター152HPのシリーズ最強エンジンが与えられると共に、エルコーレ・スパーダの手によりデザインもリファインされ、コーダトロンカと呼ばれるカム・テールと控えめなダブル・バブル・ルーフとなった。

  • 1963年にジュネーブ・ショーでボトムレンジを担うアッピアの後継車としてデビューした車がフルヴィア・ベルリーナ(当該車は2C)である。基本はフラヴィアの技術を応用した小型車であるが、エンジンはフラヴィアの水平対向エンジンではなくランチア伝統の挟角V4エンジンが与えられた。

  • ランチア初のラリー専用機としてクーペをベースに開発されたのが1966年に登場したフルヴィア・ラリーHFである。1967年にはラリー1.3HF、1969年にはラリー1.6HF(写真)へと進化した。1972年にはモンテカルロ・ラリーで優勝し、ランチアをラリーのトップ・コンデンターへと押し上げた。

  • レーシング・モデファイされた1972年型フルヴィア・スポルト1600ザガート。フラミニア、フラヴィアと同じくフルヴィアにも1965年にスポルトが追加された。前車同様ボディワークはザガートが手掛け、自社デザインであるクーペとは対照的な攻撃的なボディが与えられた。

  • フルヴィアの後継車として?ラリーを勝つため“に生を受けた車がストラトスHFだ。ベルトーネのマルチェロ・ガンディーニによるデザイン、フェラーリ製ディーノ・エンジン等、逸話は枚挙に暇がないが、その実績も素晴らしいものでWRCでは1974〜1976年の3連覇を達成した。

  • 1985年型デルタS4。ラリー037の後継車としてWRCを戦うために開発された車である。ターボとスーパーチャージャーで過給された1759ccのエンジンをミッドに搭載した4輪駆動車で、デルタと名乗っているがデルタっぽいボディを被っただけのモンスター・ラリーマシンである。

  • ランチア・ランチとは韻を踏んだ洒落のきいた名称であるが、ランチアを愛する者と共に美味しい昼食を取りながらクルマを肴に歓談を、というのが元々のコンセプトが故。この日の昼食は、最近のランチア・ランチでは定番となっている「なだ万」謹製の弁当が供された。

  • 帝人アカデミー富士名物のメタセコイア並木のもとでランチア・タクシーの出番を待つランチアたち。300mにわたる巨大なメタセコイアの並木道は非日本的な荘厳な雰囲気で、自動車メーカー各社のCMにおいても度々使用されている。なお帝人の私有地なので立ち入りの際は施設まで一報を。

  • ランチア・タクシーは実際に現車に乗ってランチアを体感できるランチア・ランチの定番企画。実際に購入を考えている人にとっても、憧れの車に触れてみたい人にとっても、視覚だけでなく音、においまで五感で楽しむことができる。オーナーの生の声を聴くことができるのも魅力だ。

  • ランチア・ランチのフィナーレを飾るベータ・シリーズ全車によるパレード・ラン。晴天にも恵まれ盛会となった会の締めくくりにふさわしい豪奢なものとなった。正規輸入が途絶えて久しいランチアではあるが、極東の地で熱心なオーナーたちの手でその灯が消えないことを誇りに思いたい。

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