【世界最高を目指したV12】ラゴンダLG45とV12ラピード 戦前のクラシック 前編

2020.05.30

サマリー

ウォルター・オーウェン・ベントレーとフランク・フィーリーの力によって、ラゴンダを一時的に復活させたモデル、LG45とV12。当時、世界最高のクルマを目指して誕生した、ドロップヘッド・クーペをご紹介しましょう。

もくじ

世界最高のクルマを目指したラゴンダ
若きデザイナーが生み出したボディ
大きな話題を巻き起こすデザイン
ロールス・ロイスより優れたV型12気筒
80年以上前では桁外れのスピード

世界最高のクルマを目指したラゴンダ

text:Simon Taylor(サイモン・テイラー)
photo:James Mann(ジェームズ・マン)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
世界で最高のクルマとは。1914年、第一次世界大戦が引き起こるまでは、ロールス・ロイスだった。

時代が変わり、1935年。「われわれで世界で最高のクルマを作りましょう」 と宣言した人物が表れた。経営の傾いていた英国の自動車メーカー、ラゴンダ社を引き継いだアラン・グッド。従業員を集めて力強く語ったという。

ラゴンダLG45(1935年)とラゴンダV12ラピード(1938年)
ラゴンダLG45(1935年)とラゴンダV12ラピード(1938年)

アランが初めに行ったことは、ウォルター・オーウェン(WO)・ベントレーをラゴンダ社へ招き入れることだった。

ロールス・ロイスは、1931年にベントレーを買収。その時、WOベントレーの席も残された。ブランドの創設者として、ロールス・ロイスは彼のマーケティング的な価値を認めていた。

給与はもらっていたWOベントレーだったが、特に責任のある仕事に携わることはなかった。ロールス・ロイスのエンジニアが新しいV型12気筒エンジンの開発を始めても、中心的な設計に関わることはなかった。

創造力に溢れたエンジニアとして、幸せは感じていなかった。そこへやって来たのが、ラゴンダ社を牽引し始めたアラン。WOベントレーは、ラゴンダ製のクルマを運転したり、工場を視察することもなく、移籍に同意したという。

ロールス・ロイスが保有する、大規模な工場や施設で働いていたWOベントレー。ラゴンダ社の小さく古い設備を目にすると、かなりのショックを受けた。時を待たずして、アランは設備投資を進め、拡大させるのだが。

若きデザイナーが生み出したボディ

当時のラゴンダ社は、クラシックな見た目ながら力強く速いクルマを生み出すという、一定の評価を既に得ていた。

例えばラゴンダM45は、メドウズ製の6気筒エンジンを搭載したモデルだが、1935年のル・マン24時間レースでは優勝を果たしている。深刻な財政難に苦しみながらも。

ラゴンダLG45(1935年)
ラゴンダLG45(1935年)

そこでアランは、招き入れたWOベントレーへ、M45のアップデートを指示する。彼は手腕を発揮して仕事をこなし、LG45として生まれ変わらせた。

メドウズ製エンジンはそのままだったが、強固なクロス構造を持つシャシーフレームを与え、ステアリングとトランスミッションに改良を施した。サスペンションにも手を加え、ハンドリングは大幅に改善された。

伝統的なツアラー・スタイルのボディを持っていたM45に対し、LG45では一新。大きなラジエターとヘッドライトは残されつつ、ドアはモールディングの入ったショルダーラインへ続く背の高いタイプへ変更された。フォルムは、そのまま細く絞られたテールへと滑らかに続く。

このデザインを手掛けたのは、若きフランク・フィーリー。ラゴンダ社のボディデザインを長年まとめてきた、ウォルター・バッキンガムのアシスタントを務めていた人物だ。

バッキンガムがラゴンダ社を去った時、フランク・フィーリーは24才。新しいラゴンダ製モデルのスタイリングを任された。

 
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