【山梨交通】かつて路面電車が走った甲府に、和魂漢才の電気バスは走るか? 中国製バス車体・日本製バッテリー

公開 : 2020.09.07 11:55  更新 : 2020.09.07 12:03

現在は山梨の常磐ホテルに常駐しているAUTOCAR記者から、なぜか中国製EVバスについての記事が届きました。笹本編集長の新刊、山梨の鉄道写真集のお披露目行脚の途中、山梨交通の本社で遭遇したとか。

編集長の新刊『昭和40年頃の山梨の鉄道追想』と山梨交通の『ボロ電』

text&photo:Daisuke Ebisu(戎 大介)
photo:Kenji Sasamoto(笹本健次)

去る9月1日に、AUTOCAR JAPANの笹本健次編集長が『昭和40年頃の山梨の鉄道追想』という写真集を上梓した。

今回の新刊は編集長が幼少の頃から撮り溜めてきた、生まれ故郷、山梨の昭和30〜40年代にかけての鉄道の変化の様子を1冊にまとめた写真集だ。

山梨県甲府市の山梨交通本社でデモンストレーション中のBEVバス、アルファバスe-City L10のフロントフェイス。鋭いデザインのヘッドライトが日本車とかなり印象が違う。
山梨県甲府市の山梨交通本社でデモンストレーション中のBEVバス、アルファバスe-City L10のフロントフェイス。鋭いデザインのヘッドライトが日本車とかなり印象が違う。    戎 大介

現在、編集長は山梨県甲府市で『常磐ホテル』の社長業も兼任しており、8月末は県下の関係各所へこの本のお披露目に廻っていた。その際、本誌制作に携わった筆者も荷物持ちとしてこの行脚に付き従っていたのだ。

その途中、編集長は山梨交通の本社に立ち寄った。ちなみに新刊の冒頭には、県民から親しまれつつ昭和37年に廃止された、“ボロ電”こと山梨交通鉄道線が収録されている。

ボロ電は明治時代の山梨馬車鉄道に端を発する路面電車で、経済的に発展してゆく甲府とその周辺町村の物資と人員輸送に貢献してきた。

しかし、戦後の復興期を経てバス路線の発達と共に衰退、昭和34年の伊勢湾台風による設備への被害などが引き金となり、昭和37年7月に全線廃止となった。

当時、小学生だった笹本編集長は、甲府駅から出発するボロ電の姿をよく見かけたとのことで、本写真集に収録されているのは、廃線の声を聴いて写真に残しておこうと、初めて手にしたカメラ、フジペット35を持って撮影に出かけた際のものだという。

廃線より50年以上が経過した今、実体験としてボロ電を知る人は少なくなったが、今でも甲府の街中をクルマで走っていると、カーナビの『左折して廃軌道へ』といった案内に、ギョッとしながらもココは昔、電車道だったのかと気付かせられる時がある。

山梨交通本社で、中国製電気バスに遭遇

編集長が山梨交通の代表に新刊を手渡し、50年前に同社が運営していたボロ電や当時のボンネットバスなどの懐かしい話が弾んでいる間、手持ち無沙汰な記者は、本社敷地内に併設された天然ガス・スタンドに25年選手のいすゞ・キュービックと並んで見慣れぬ白ナンバーの路線バスが佇んでいるのを見つけた。

聞けばこの車両、中国アルファバス製の純電気(BEV)バスとのこと。

2020年9月1日に刊行された笹本健次 著『昭和40年頃の山梨の鉄道追想』(発行:ACJマガジンズ 発売:イカロス出版)
2020年9月1日に刊行された笹本健次 著『昭和40年頃の山梨の鉄道追想』(発行:ACJマガジンズ 発売:イカロス出版)    戎 大介

この『e-City L10』は昨年日本デビューした最新型で、輸入・販売元のアルファバスジャパンによるデモンストレーション来社だった。

日ごろ、並行輸入自動車の改善などを手がける業者さんへも取材に行っている身としては、中国製の車両が日本のナンバープレート(と車検)を取得しているだけでも驚きだったが、この車両は右ハンドルで車内外の架装なども完全に日本の路線バス仕様となっていた。

日本向け仕様の車両の開発に関しては、同社に出資するヴィ・クルー(バス車体製造・架装メーカー)とエクセル(電子デバイス商社)の技術とノウハウが注入され、日本車と見比べても違和感のない見栄えに仕上がっていた。

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