【余命を伸ばすレストア】デューセンバーグ・モデルSJ 世界最高を復活させる 前編

2020.09.27

サマリー

部品の山状態だったデューセンバーグ・モデルSJを、コンクールで数々のショーを獲得するクラシックカーへ生まれ変わらせたオーナー家族。ガンを患う92才の父へ、病と戦うほどの喜びを与えた美しい1台をご紹介しましょう。

もくじ

世界恐慌に生まれた世界最高の自動車
自転車販売からスタートした兄弟
1921年フランス・グランプリでの優勝
ブランドの勢いと豊かさを象徴するSJ

世界恐慌に生まれた世界最高の自動車

text:Greg Macleman(グレッグ・マクレマン)
photo:James Mann(ジェームズ・マン)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
表現し難いオーラを放つ、デューセンバーグ・モデルSJ。ブランド力だけではない。黒く輝く美しいボディだから、ひとしおだ。

取材中、多くの人がコックピットを覗きに近づいてくる。大きく開いたボンネットの中を、観察していく。クラシックな美貌と強い存在感は、誰もが抗しがたいようだ。

デューセンバーグ・モデルSJ(1932年)
デューセンバーグ・モデルSJ(1932年)

アメリカの高級車ブランドだった、デューセンバーグ。カリフォルニアで見るモデルSJは、一層魅力的に映る。夢の実現に向けて、現オーナーは病と戦ってきた。そして、奇跡とも呼べる今を生きている。

デューセンバーグの希少さは、発表のタイミングと新車時の金額を考えれば、想像に難くない。当時の住宅価格は平均で5500ドル。平均年収は4900ドルという時代。スーパーチャージャーの付かないモデルJでも、8500ドルの価格が付いていた。

しかも、ボディのない状態。コーチビルダーを選び、デューセンバーグへ人が座れる状態に仕上げるには、2万ドル以上必要なこともあった。

加えて1930年代といえば、世界経済は悲惨な状態にあった。世界恐慌だ。

それでもデューセンバーグは世界最高の自動車と評され、少なくない注文が入った。クラーク・ゲーブルやゲイリー・クーパーといったハリウッド・スターから、実業家のエセル・マーズまでが資金を捻出し、オーナーになった。

自転車販売からスタートした兄弟

激動の時代に生まれたモデルJながら、最終的な生産台数は500台に迫った。成功した、といって良いだろう。もちろん、確かな努力がその裏にはあった。

デューセンバーグの歴史は、1885年にドイツ出身のデューセンバーグ兄弟がアメリカへやって来た時へさかのぼる。フレデリックとオーガストという2人だ。

デューセンバーグ・モデルSJ(1932年)
デューセンバーグ・モデルSJ(1932年)

彼らは、優れた才能を持った技術者だった。自転車販売からスタートし、内燃エンジンの開発を習得すると、1905年に初めてのクルマを生み出した。

水平バルブを備える4気筒エンジンを設計したのは、フレデリック・デューセンバーグ。当初のクルマは、資金の支援者を尊重しメイソンと名付けられた。

メイソンは商業的に成功し、兄弟は1913年に起業。デューセンバーグ・ブランドが誕生した。

世界が第一次大戦へ突入しようとしていた時代、デューセンバーグはレーシングカーへ焦点を向けた。ブランド名を認知させるために。一方で、当時の才能ある技術者の多くがそうだったように、デューセンバーグ兄弟も軍需産業に手を貸した。

エットーレ・ブガッティ設計のブガッティU16エンジンを参考に、V型16気筒の航空機用エンジンの開発を目指した。メイソンの時代に培った経験が、活かされた。

第一次世界大戦が終わると、デューセンバーグは再びサーキットへ戻った。新しいエンジンを準備して。

 
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