【余命を伸ばすレストア】デューセンバーグ・モデルSJ 世界最高を復活させる 後編

公開 : 2020.09.27 16:50  更新 : 2020.12.08 08:38

部品の山状態だったデューセンバーグ・モデルSJを、コンクールで数々のショーを獲得するクラシックカーへ生まれ変わらせたオーナー家族。ガンを患う92才の父へ、病と戦うほどの喜びを与えた美しい1台をご紹介しましょう。

もくじ

エンジンもボディもバラバラの状態だった
レストアを速めた父のガン宣告
長期休暇でレストアを手伝った息子
ジェイ・レノのクルマから部品の型取り
生き続ける力を与えてくれた

エンジンもボディもバラバラの状態だった

text:Greg Macleman(グレッグ・マクレマン)
photo:James Mann(ジェームズ・マン)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
デューセンバーグ・モデルSJのオーナー、ジャック・テバーグは情熱的なクラシックカー・ファン。きっかけは、ブルース・スプリングスティーンがオーナーだったという、1949年製のクライスラー・タウン&カントリー・コンバーチブルだった。

北米のクラシックカー・ファンらしく、デューセンバーグは常に視界の中にあった。「いつも、デューセンバーグが頭にありました」。と笑顔で話すジャック。

デューセンバーグ・モデルSJ(1932年)
デューセンバーグ・モデルSJ(1932年)

モデルSJのオーナーになるという野望は、見事に実現した。だが、その道のりは長く、険しいものだった。

「クルマを購入したのは14年前。シカゴのビル・ハック・コレクションから。100台ほどの色々なクルマがあり、修理途中のものも沢山。6・7台のデューセンバーグも含まれていました」

ジャックが購入したデューセンバーグは、修理できる状態とも呼べない代物。カタチがあったのはシャシーだけで、エンジンはバラバラの部品と化していた。

1960年代初頭にボブ・ギャサウェイが手掛けたボディも、一部が残っているに過ぎなかった。オリジナルのマーフィー製ボディは、数十年前になくなったそうだ。

「クルマの保管用として、ニューヨークのロチェスターに倉庫を持っていました。バラバラのデューセンバーグは、長い間そこへ保管していました。レストアを受けてくれる人と、エンジン・ビルダーを見つけ出すまで、かなりの長期間」

レストアを速めた父のガン宣告

レストア作業は、ゆっくり進んだ。ところが、ジャック・テバーグ一家の人生を変える出来事をきっかけに、スピードが速まった。「父がガンだと宣告されたんです。ステージ3の多発性骨髄腫でした」。とジャックの息子、ラリーが話す。

「主治医は、かなり深刻なことを表すために、ステージ4だと表現しました。実際はステージ3までしかないのです。死が近いことを意味していました」

デューセンバーグ・モデルSJ(1932年)
デューセンバーグ・モデルSJ(1932年)

「父のためにも、デューセンバーグをできるだけ早く組み立てる必要がありました。ニューヨークの倉庫からクルマを出し、カリフォルニアへ持ってきたのは、2017年の10月です」

デューセンバーグは自宅の近くへ移ってきたが、レストアは困難を極めた。作業のスピードは上がらないまま、資金は驚くほどの速さで消えていった。

ラリーが振り返る。「当初父が連れてきたのは、評判の良くない職人でした。彼には30万ドルも渡したのですが、実際にしたことは状態の良い部品をバラし、組み直したことくらい」

「カリフォルニアに持ってきた時より、さらに2歩ほど後退した感じでした。クルマの状態を見て、彼にこう伝えました。クルマを持って帰ります。ってね」

幸いにも、渡した資金の多くは残っていた。最大の損失は、貴重な時間を浪費したことだった。

気を取り直し、ラリーがサンタ・クラリータの小さなワークショップへ訪れると、運が味方に付いた。 職人のアーノルド・シュミットとの出会いが、流れを変えた。

 
最新試乗記