【マットグレーのクーペ】アルファ・ロメオ6C-2500 スポーツ トロッシ伯爵の特注 前編

公開 : 2021.06.26 07:05

スクーデリア・フェラーリのボスも務めた、カルロ・トロッシのために作られたアルファ・ロメオ6C-2500。マットグレーの1台をご紹介します。

カルロ・トロッシ伯爵の移動手段

text:Mick Walsh(ミック・ウォルシュ)
photo:James Mann(ジェームズ・マン)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
エース級レーシングドライバーが乗ろうとする、移動用のクルマは興味深い。一般的にチャンピオンの多くは、控えめで洗練されたクルマを選びたがる。サーキットでのドラマチックな戦いから距離を置くために。

自動車メーカーに属するワークスドライバーの場合、ブランド内のモデルに限定されることも珍しくない。だが、信じられないほど裕福だったカルロ・フェリーチェ・トロッシ伯爵は違った。

アルファ・ロメオ6C-2500 スポーツ(1942年)
アルファ・ロメオ6C-2500 スポーツ(1942年)

彼は欲しいと思うものを自由に手にするだけの財力があった。なければ、特注で作らせることも可能だった。
 
彼が作らせたロードカーで特に有名なものといえば、専用ボディのメルセデス・ベンツSSKだろう。アールデコ時代のバットモービルにも見えなくない。今はファッションデザイナー、ラルフ・ローレンのコレクションの中で、スター級の1台となっている。

トロッシの父は、自動車事故で命を落とした。それでもイタリア貴族の息子は、スピードに対する興味を失うことはなかった。

2台のメルセデス・ベンツSSKの他にも、ラグジュアリーなパッカードや小さなフィアット、プロトタイプのベスパまで、様々な乗り物が彼の住まう古城のガレージに収められていた。

トロッシ自身も、脳腫瘍を患い41歳で他界する。亡くなるまでの数年間は、穏やかなクーペに好んで乗っていた。それが今回ご紹介する、ダークグレーが印象的なアルファ・ロメオ6C-2500 スポーツだ。

カロッツェリア・トゥーリング社によるボディ

エキゾチックな6C-2300Bや8Cを超えるモデルとして、6C-2500が発表されたのは1939年。1940年代のイタリア車として最上級モデルの1台といえ、トロッシへは第二次大戦中の1942年に届けられている。

サスペンションは、前後ともに独立懸架式。豪華なリムジンからトップグレードまで、チェーン駆動のツインカムエンジンが搭載された。

アルファ・ロメオ6C-2500 スポーツ(1942年)
アルファ・ロメオ6C-2500 スポーツ(1942年)

スーパースポーツでは、トリプルウェーバー・キャブレターで111psを達成。セパレートシャシー構造を採用した、最後のアルファ・ロメオでもある。

シャシーとボディが別体の構造を活かし、6C-2500は多くのイタリアン・コーチビルダーによってスペシャルボディが載せられた。中でも際立って美しいボディを仕上げたのが、ミラノが拠点のカロッツェリア・トゥーリング社だろう。

ルドヴィコ・ディ・ブレメ通りのワークショップで手作りされたボディは、見事なまでの流線型。サイドステップはほとんど残っておらず、デザインの進化を感じさせる。

これをさらに発展させたのが、6C-2500のヴィラ・デステ・スーパースポーツ。トゥーリング社を引き継いだカルロ・フェリーチェ・ビアンキ・アンデルローニ自身も、このカロッツェリアの最高傑作の1つだと認めている。

丸目2灯のヴィラ・デステのスタイリングは、トロッシがオーダーしたクーペが起源といえる。見惚れるほど美しいことにも頷ける。

第二次大戦が始まると、トロッシはイタリア空軍で飛行任務に就いた。それでも、アルファ・ロメオのレーシング部門との関わりは密接だった。

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