クルマ漬けの毎日から

2020.08.11

サマリー

1938年初頭、ドイツでは「国民車」、つまり「フォルクスワーゲン」を製造するための工場建設が始まりました。第二次世界大戦が終わり、ドイツが敗戦国となった時にこの工場を救ったのは、戦勝国イギリス軍の少佐でした。

【クロプリー編集長コラム】フォルクスワーゲンを救った英国人、アイヴァン・ハースト少佐

もくじ

大戦後 VW工場 イギリス管理下へ
ハースト少佐 戦後初のVWリーダー
もし彼が、イギリス自動車業界にいたら

translation:Kaoru Kojima(小島 薫)

大戦後 VW工場 イギリス管理下へ

第二次世界大戦が終わった1945年、ドイツのウォルフスブルクにあるフォルクスワーゲンの工場は、イギリス軍の管理下に置かれた。

今年は、それから75周年にあたるという。

最近は明るい話題は少ないが、このニュースを聞いて私は元気づけられた。

終戦後、イギリス管理下にあったフォルクスワーゲンの工場(撮影:1945年頃)。

当時、この工場を統括していたのは、イギリス軍少佐のアイヴァン・ハーストという人物だ。

ハースト少佐 戦後初のVWリーダー

イギリス軍の管理下で、フォルクスワーゲンは事業を再興させ、結果的に今日の巨大自動車会社へと成長するきっかけをつかむことができた。

ハースト少佐は支配的立場にありながらも、善意ある指揮官として、3年にわたってフォルクスワーゲンを率いた。

しかし、戦時中、軍需工場だったフォルクスワーゲンの工場は、空襲の被害を受けていた。

1946年には10,020台のビートルを製造。戦後のヨーロッパでは、スチールなどの資材が不足していた。

ハースト少佐はこの工場を解体の危機から救い、また実用的かつ将来を見据えた手法を取り入れて、自動車製造業を本格的に再興させたのだ。

さらにその過程で、戦後の混乱の中、ドイツの人々が必要としていた雇用も生み出すことができた。

またフォルクスワーゲンの製品はこの後、「耐久性」において持続的に高い評価を確立していくが、ハースト少佐はその点でも大きな役割を果たしたといえる。

AUTOCAR 英国版 編集長 スティーブ・クロプリー

オフィスの最も古株だが好奇心は誰にも負けない。新しく独特なものなら何でも好きだが、特に最近はとてつもなくエコノミカルなクルマが好き。クルマのテクノロジーは、私が長い時間を掛けて蓄積してきた常識をたったの数年で覆してくる。週が変われば、新たな驚きを与えてくれるのだから、1年後なんて全く読めない。だからこそ、いつまでもフレッシュでいられるのだろう。クルマも私も。
 
 
 

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