【現存する唯一のフレンチ・クーペ】ローゼンガルト・スーパーセプト・クーペ 前編

公開 : 2020.11.21 07:20  更新 : 2020.12.08 08:18

スマートなボディで着飾った、1938年製ローゼンガルト・スーパーセプト・クーペ。内側に隠されているのは、直列6気筒エンジンに換装された、オースチン・セブンです。唯一現在まで生き残った、可憐なクーペをご紹介しましょう。

パリ・マキシムの前で出会った2人

text:Jon Pressnell(ジョン・プレスネル)
photo:John Bradshaw(ジョン・ブラッドショー)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
今から90年ほど昔の1929年。フランスの実業家、ルシアン・ローゼンガルトは、オースチン・セブンをライセンス生産していた。パリの有名なレストラン、マキシムのそばで。

ある日、ローゼンガルトはパッカード製ロードスターから降り立つ女性を目にする。「なぜそんなに大きなクルマを運転しているのです?」と彼はたずねた。

ローゼンガルト・スーパーセプト・クーペ(1938年)
ローゼンガルト・スーパーセプト・クーペ(1938年)

彼女は答える。「おもちゃのような小さなクルマには、いつまでも乗っていられないわ」。そんな内容の返事だったらしい。

その半年後、2人はレストラン・マキシムの前で再開する。「明日、一緒にランチはどうでしょう?お見せしたいものがあるんです」。ローゼンガルトが話しかける。

次の日、女性が目にしたのは、6気筒エンジンを搭載した小さなプロトタイプだった。その可憐なボディと、彼の不思議な魅力に惹き込まれた彼女。後に、ローゼンガルト婦人になるのだった。

第二次大戦が終わると、ローゼンガルトは画家を目指してリビエラに移り住んだ。画家としての方が、広く知られているかもしれない。

マキシムでの出会いが、どこまで本当だったのかはわからない。少なくとも、1931年のパリ自動車ショーで、ローゼンガルトが1100ccの6気筒エンジンを積んだクルマを発表したことは、間違いない。

そのオリジナル・モデルは、1934年に製造が終了。しかし1938年、わずかな化粧直しを受けて再生産されている。機械的には1931年モデルと大きな変更はなく、1939年まで販売は続けられた。

経営難のシトロエンプジョーを救済

今回ご紹介するのは、1938年に再生産された、2代目。誇張気味のスーパーセプトという名前を与えられているが、基本的にはオースチン・セブンとのつながりが濃い。

このスーパーセプトは、現存する10台の1台。詳しい人物によれば、おそらく6台が作られたクーペの中で、唯一現在まで生き残っているクルマらしい。

ローゼンガルト・スーパーセプト・クーペ(1938年)
ローゼンガルト・スーパーセプト・クーペ(1938年)

少ない生産台数は、ローゼンガルトという自動車メーカーの、波乱の歴史を物語っている。起業家精神に溢れた1人の男が事業を起こし、経営に苦労し、最終的には失敗してしまう。

そこには、戦前のフランス自動車産業で活躍した、複数の人物も関わっていた。今回の黒くコンパクトなスーパーセプト・クーペも、その歴史が色濃く反映されている。

ルシアン・ローゼンガルトは当初、ボルトやナットなどの製造で成功。第一次世界大戦が始まると、砲弾の量産で大きな資産を生み出した。戦争が終わると、自転車用のダイナモやポケットトーチの製造を始める。

友人だったアンドレ・シトロエンの事業が苦しくなった場面では、ローゼンガルトも手を貸した。売れ残ったシトロエンのクルマの価値に見合った融資が受けられるように、口利きをしたらしい。

シトロエンのジャベル工場では生産管理にも関わり、危機を克服。同じ手段でプジョーも救済した。

自動車産業に感心を抱いたローゼンガルトは、1928年のパリ自動車ショーで自らのブランドをスタート。オースチン・セブンのライセンス生産を始め、5CVとして発売した。

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