【コロナ禍でも高額落札】ル・マン優勝 マトラ・シムカMS670が、オークションに フランスの至宝に8億円

公開 : 2021.02.16 17:25  更新 : 2021.10.11 09:40

オークションに、1972年のル・マンで優勝を果たしたマトラ・シムカMS670が登場。即走行可能な状態で、世界中から大きな注目を集めることに。落札結果は?

マトラを知っているか

text:Kazuhide Ueno(上野和秀)
photo:Philippe Louzon/ARTCURIAL MOTORCARS

日本でマトラ(マートラとも記す)というメーカーは、熱烈なフランス車ファンだけが知るマニアックな存在だ。

もともとは航空宇宙関係のメーカーだったが、世界初の市販ミドシップ・スポーツカーであるルネ・ボネ・ジェットのFRP製ボディの製作を担当した。

1972年のル・マン24時間耐久レースで栄冠を手にしたマトラ・シムカMS670が、フランスのオークションに出品された。
1972年のル・マン24時間耐久レースで栄冠を手にしたマトラ・シムカMS670が、フランスのオークションに出品された。    Philippe Louzon/ARTCURIAL MOTORCARS

その縁から経営不振に陥ったルネ・ボネを傘下に収め、自動車メーカーとしてスタート。1967年には自社開発のミドシップ・スポーツカーのMS530を送り出す。

マトラ社はモータースポーツに熱心で、F3、F2、F1で活躍を遂げるとともに、スポーツ・プロトタイプ・マシンで1966年からル・マンに挑戦を開始する。しかしその壁は高く、完走できたのは4年目となる1969年のことで、4位、5位、7位でチェッカーフラグを受けた。

ちなみにスポーツ・プロトタイプ・マシンは2リッターのMS620に始まり、1967年にはMS630、1969年には3リッターのMS650、1970年になるとMS660へと進化。そして、1972年シーズンに向けて製作されたのが今回出品されたMS670なのである。

しかしレースに注力したことからマトラ社は経営難に見舞われ、1969年にクライスラー傘下のシムカ社と合併し、社名はマトラ・シムカに変わる。

マトラ・シムカMS670とは

地道にル・マンへ挑んできたマトラだが、1972年から世界スポーツカー選手権の車両規定が変更される。

それまでポルシェ917やフェラーリ512Sなどの5リッター・スポーツカーで競われてきたが、新たに3リッター・プロトタイプ・マシンによって競われることになったのである。

1972年大会のル・マンには、MS670とMS660Cで挑んだ。
1972年大会のル・マンには、MS670とMS660Cで挑んだ。    Philippe Louzon/ARTCURIAL MOTORCARS

3リッター・プロトタイプ・マシンで闘ってきたマトラにとって神風といえる変更といえた。

この頃のマトラ・シムカは、地元のル・マンのみに照準を合わせており、1972年大会には3台のMS670と1台のMS660Cという総力戦で挑んだ。

1972年シーズンに向けて製作されたMS670のシャシーは、アルミニウム製モノコックにFRP製カウルで構成され、車両重量は678kgと軽量。ミドに積まれるのは、マトラ自製の60°V12エンジンで、2999ccの排気量から456.9psを発揮した。

ウェッジシェイプのスタイリングが主流の中にあって、MS670は曲線で構成されたスタイリングが特徴だった。しかしル・マンを主戦場とするだけに、空力抵抗の減少やダウンフォースは突き詰められ、高い空力性能を発揮している。

記事に関わった人々

  • 上野和秀

    Kazuhide Ueno

    1955年生まれ。気が付けば干支6ラップ目に突入。ネコ・パブリッシングでスクーデリア編集長を務め、のちにカー・マガジン編集委員を担当。現在はフリーランスのモーター・ジャーナリスト/エディター。1950〜60年代のクラシック・フェラーリとアバルトが得意。個人的にもアバルトを常にガレージに収め、現在はフィアット・アバルトOT1300/124で遊んでいる。

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