【ワークス・ラリーマシンの1台】トライアンフTR4 ほぼノーマルで戦った1962年 後編

公開 : 2021.04.18 07:05

ワークス・マシンとして活躍したトライアンフTR4。アメリカで消息不明になっていましたが、見事な復活を遂げました。3 VCのナンバーを付けた貴重な1台をご紹介しましょう。

もくじ

エンジンブローで終えた1963年
カナダで知らしめたグラベルでの強さ
共同出資で買い取ったワークスマシン
よく耳に届くウェーバーキャブの吸気音

エンジンブローで終えた1963年

text:Julian Balme (ジュリアン・バルメ)
photo:Luc Lacey(リュク・レーシー)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
1963年のシーズン後半、トライアンフTR4をドライブしたヴィック・エルフォード。フランスのアルペン・ラリーでも、ビッグヒーレーに対し充分な競争力があると信じていたようだが、成績は振るわなかった。

エルフォードは走行中にコースオフ。トライアンフのワークスチームを率いていたグラハム・ロブソンは最悪を想定して現場に駆けつけた。クルマの近くで2人が倒れているのを目にし慌てるが、諦めて日光浴をしていたらしい。

トライアンフTR4 ワークスマシン(1962年)
トライアンフTR4 ワークスマシン(1962年)

クルマは深刻なダメージを免れ、翌月のリエージュ・ソフィア・リエージュ・ラリーではドン・グリムショーがステアリングを握った。だが、そこでもリタイヤしている。

1963年のエルフォード最後の戦いが、11月のRAC(ロイヤル・オートモビル・クラブ)ラリー。3 VCのナンバーを付けたTR4にとっても、最後のラリーになる予定だった。

ロブソンが回想する。「2日目の夜、シリンダー・ガスケットが吹き飛んでエンジンブロー。そこで終わりです。チーム全体が意気消沈する悲しい結末でした。2年間、失望するほど大きな不具合はありませんでしたからね」

1964年の主力マシンは、トライアンフ・スピットファイアと2000へシフト。残った4台のTR4は、北米で輸入代理店をしていたカス・カストナーの力を借り、カナディアン・シェル4000ラリーへの出場が決まる。

「3 VCを含めた3台は、アルミ製のボディパネルまでメンテナンスを受けました。エンジンと駆動系統、サスペンション、大型の燃料タンク、配線や計器類までが一新され、左ハンドルのラリーマシンに生まれ変わったんです」

カナダで知らしめたグラベルでの強さ

「シャシーも専用のものを新調。カナダのバンクーバーへトラックで運ぶ前に、カストナーはマグネシウム製のホイールで仕上げました」

ロブソンが続ける。「シェル4000ラリーは、スピードとタイム、距離が求められるイベント。コ・ドライバーには正確なタイム測定とナビゲーションが求められました」

トライアンフTR4 ワークスマシン(1962年)
トライアンフTR4 ワークスマシン(1962年)

「TR4に揃ったクルーたちは、最高の人選には思えませんでした。3 VCのステアリングを握ったのは、バート・ラスムッセンというカナダでは知られたラリードライバー。トライアンフの輸入を請け負う技術者でもありました」

「もちろん、ワールドクラスのドライバーではありません。それでも、3台とも見事にフィニッシュ。TR4はグラベルで最速のスポーツカーだと、現地で知らしめました」

「ラスムッセンは、トライアンフの北米でのワークスチームとして、誇りを持ってくれたようです。GTチーム賞も獲得しましたからね」

レースの後、3台のトライアンフ・ワークスのTR4はアメリカのディーラーを通じて売却された。3 VCのナンバーを付けたTR4はロチェスター大学の学生が購入し、アマチュア・モータースポーツに興じられたらしい。

4 VCのナンバーのTR4は英国に残り、愛好家のイアン・コーニッシュが購入。トライアンフの第一人者であるニール・レビントンの手により、丁寧にレストアされた。

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