【トライアンフのMS部門】ワークスのTR2からTR7 V8、 スピットファイアに2.5 PIまで 後編

公開 : 2021.04.24 17:45

28年間、トライアンフはモータースポーツ部門を擁し、優れた成績を残してきました。その歴史を、部門を率いた経験を持つグラハム・ロブソンが振り返ります。

もくじ

スピットファイアと2000
計画中止となったGT6R
2.5 PIにドロマイト、TR7の活躍
V8エンジンを搭載したTR7 V8

スピットファイアと2000

text:Graham Robson(グラハム・ロブソン)
photo:Graham Robson(グラハム・ロブソン)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
1964年シーズンに向けて、トライアンフがスピットファイアと別に用意したもう1台が、2000。152psを発揮するエンジンや多くの改良が施され、無骨なオフロードマシンに生まれ変わった。

ワークス態勢を示すように、1964年と1965年シーズンは興奮するほどの成績を残した。1964年のツール・ド・フランスでは、ラリー仕様のスピットファイアにル・マン用のロングノーズをドッキング。

トライアンフTR4(1962年)
トライアンフTR4(1962年)

熾烈な10日間の公道ラリーに挑戦し、ドライバーのロブ・スロートマーカーとテリー・ハンターがクラス優勝を掴んだ。アルピーヌ・ルノー・チームに対して圧倒的な勝利といえ、フランスのトライアンフ代理店を強く後押ししただろう。

その1週間後、フランス・モンテリで開かれたパリ1000kmスポーツカー・レースでも、クラス優勝。10月にも別のスピットファイアが、スイスで開かれたラリー・インターナショナル・ド・ジュネーブで総合2位に輝いている。

1965年のスピットファイアも、戦果を上げた。アメリカのセブリング12時間レースではクラス2位と3位を獲得。続くル・マン24時間レースに向けて、110ps以上を絞り出す1.1Lエンジンはリフレッシュを受け、ここでもクラス優勝を奪取している。

さらにスピットファイアには新開発の1.3Lエンジンが積まれ、1965年夏のアルペンラリー、クープ・デ・ザルプのプロトタイプ・クラスへ参戦。ポルシェ904と同じグループだったが、トライアンフがフランスの夏の暑さに一番強かった。

計画中止となったGT6R

スピットファイアは最後まで生き残り、シモ・ランピネンがステアリングホイールを握ったマシンがクラス優勝。1965年シーズンを明るく終えた。

好調のトライアンフは、GT6Rと呼ばれる新しいレースカーの開発に着手。ところが1966年のレギュレーション変更に内容がそぐわず、初期のプロトタイプ完成前に計画は中止となった。

トライアンフ・スピットファイア(1964年)
トライアンフ・スピットファイア(1964年)

1966年に行われたFIAのレギュレーション変更では、一気に改造の自由度が絞られた。専用のシリンダーヘッドや軽量なボディなどは規則違反となり、マシンもチームも活気が失われたようだった。

翌年、トライアンフの目立った成績といえば、ロイ・フィドラーが型落ちの2000で戦ったブリティッシュ・ラリー選手権での勝利程度。1966年にチャンピオンを獲得し、存在感を誇示している。

1967年には、2台の2.5 PIサルーン・プロトタイプでRACラリーに挑戦する。F1チャンピオンのデニス・ハルムをドライバーに擁し果敢に態勢を整えるが、口蹄疫ウイルスの蔓延でイベントが急遽キャンセルされてしまった。

それと前後し、1965年にトライアンフのモータースポーツ部門はトップがレイ・ヘンダーソンへ交代。ラリークロス・マシンとしてトライアンフ1300を四輪駆動にし、ブライアン・カルチェスの運転でサスペンションを破損させるまでは好調に走った。

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