【別の時代へタイムスリップ】ベントレー・ブロワー・コンティニュエーションへ試乗 前編

公開 : 2021.06.04 08:25  更新 : 2021.06.05 00:16

ベントレー 4 1/2ブロワーの限定復刻の計画は順調に進行中。完成した初のプロトタイプを、英国編集部が試乗しました。

ル・マンを勝てなかったベントレー・ブロワー

text:Andrew Frankel(アンドリュー・フランケル)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
古い記憶をたどっても、われわれを夢中にしてきたレーシングカーのほとんどはフォーミュラ・マシンではなく、より身近なスポーツカーだったと思う。特にル・マン24時間レースを戦ったモデルたちは、その筆頭だろう。

ジャガーDタイプにフェラーリテスタロッサ(330LM)、フォードGT40、ポルシェ917。少し考えただけで、見事な成功を収めたクルマが何台も思い浮かぶ。

ベントレー・ブロワー・コンティニュエーション・プロトタイプ
ベントレー・ブロワー・コンティニュエーション・プロトタイプ

一方でル・マンを完走しなくても、崇拝的な支持を集めるモデルがある。モータースポーツの記念碑的な存在として。今回試乗したのは、そんなクルマのコンティニュエーション、復刻版だ。

スーパーチャージャーで過給するベントレー 4 1/2リッター・スーパースポーツ、通称ブロワーは、ル・マンで勝てなかった。創設者のW.O.ベントレーが嫌ったモデルであり、1931年の倒産に関与したモデルとして、冷たい視線を集めた過去もある。

しかしビンテージ・ベントレーを考える時、英国人の頭に浮かぶのはベントレー・ブロワーだと思う。軽快な3リッターでも、スーパーチャージャーなしの4 1/2リッターでも、スピード・シックスでもない。

そのいずれもが、ル・マン24時間レースで勝利を収めている。1924年から1930年までの間に、述べ7度の参戦で5回の優勝を掴んでいる。でも、ベントレー・ブロワーとわれわれが記憶するこのクルマは、格が違う。

ヘンリー・バーキンがドライブした2号車

その理由は、レーシングドライバーのヘンリー・バーキンの存在が大きい。スーパーチャージャーは、彼の選んだ高出力への近道だった。そして、W.O.ベントレーの意に反して推し進めた人物でもあった。

バーキンはベントレー側を説得し、レギュレーションに必要な50台のロードカーと4台のレーシングマシンを完成させた。資産家のドロシー・パジェットが、必要な資金を提供しながら。

ベントレー・ブロワー・コンティニュエーション・プロトタイプ
ベントレー・ブロワー・コンティニュエーション・プロトタイプ

ベントレー・ブロワーで、バーキンはミュルザンヌのストレートを駆け抜けた。英国ブルックランズのバンクコーナーでは、ハリケーンのような勢いで疾走した。それが、英国人が思い浮かべるビンテージ・ベントレーの姿だろう。

4台のレーシング・ブロワーの中で、バーキンがドライブしたのは2号車。1930年のル・マンでは、ミュルザンヌのストレートでメルセデス・ベンツSSKを追い越したマシンだ。200km/h近い速度で、ボロボロのタイヤで戦った。

そのクルマは、価値の重要性を示すように現在でも生き残っている。ビンテージ・ベントレーのレーシングマシンとして、貴重なオリジナルといえる。現在はベントレーが所有し、2500万ポンド(37億5000万円)の価値があるという。

もちろん、今回ミルブルックで試乗したのは、そのオリジナルではない。2019年の末、ベントレーは12台のブロワーを再び製造すると発表した。それぞれのブロワーは、2号車に可能な限り近づけるということだった。

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