イタリア仕立てのシトロエンDS ボサートGT 19 フルア・デザインの希少クーペ 後編

公開 : 2022.07.31 07:06

フランスでは女神とも称される、シトロエンDS。ピエトロ・フルアが手掛けた優雅なクーペを、英国編集部がご紹介します。

ピエトロ・フルア氏へ託した短縮版DS

当初からシトロエンは、優秀なロードホールディング性能を活かせるだけの、パワフルなエンジンをDSに搭載してこなかった。ボサートGT 19では車重が多少削られていても、その本質は変わらない。

1960年代、アマチュアレーサーだったアンリ・ジェリー氏も、このエンジンには不満を抱いていたのだろう。自身もラリードライバーだったヘクター・ボサート氏が用意したシトロエンで、彼はフランス北部の競技へ頻繁に参戦していた。

シトロエンDS ボサートGT 19(1960〜1964年/欧州仕様)
シトロエンDS ボサートGT 19(1960〜1964年/欧州仕様)

ボサートはエンジニアとしても優秀で、レーシングカーの準備やエンジン・チューニングで評価を集めていた。ヘクターの孫に当たるフレデリック・ボサートが、当時を回想する。

「祖父は知人のジェリーに、そんなクルマでは勝ち目がないと話していました。長く、重すぎるとね。短くした方が良いと提案していました」

シトロエンDSを短くするというアイデアは、2人以外にも思いついていた。1959年にはフランスでシトロエン・ディーラーを営んでいたリクー一家も、550mm短くしたDSを販売していた。見た目は、少々不格好だったが。

ジェリーとボサートは短縮版DSの製作を、イタリアでカロッツェリアを営んでいた、デザイナーのピエトロ・フルア氏へ託した。「祖父はフルアとの交流はなく、ジェリーを通じてだったのかもしれません」

「1960年代、クルマのボディを仕上げる技術では、イタリアに勝る場所はありませんでしたから」

エンジンのチューニング・オプションも準備

フルアは素晴らしいサイドビューを描き出し、程なくして最初のプロトタイプが完成。その頃にはジェリーの特別な1台のDSから、GT 19という名の少量生産モデルへ、プロジェクトは進展していたようだ。

美しいスタイリングに、2人が魅了されたからかもしれない。コーチビルドに掛かった費用を回収するためだったかもしれない。経緯は、はっきりしていない。

シトロエンDS ボサートGT 19(1960〜1964年/欧州仕様)
シトロエンDS ボサートGT 19(1960〜1964年/欧州仕様)

ジェリーとボサートは協力し、フランス北部のメトレンという町でジェテ社というボディショップを設立。ボサートというブランド名を冠した、GT 19を生産し始めた。

「ボディ後半がフルア社で製作され、ほぼ組み上がった状態で祖父の工場へ届きました。顧客からDSが持ち込まれると、特別な道具でボディを切断するんです。トランクリッドも成形していました」

メカニズムに関しては、依頼主の希望に合わせて選択肢が用意されていた。1974年の資料によると、エンジンのチューニング・オプションも準備されていたらしい。

51mmのロールス・ロイス用や、44mmのツインSU、42mmのツイン・ウェーバーなど、キャブレターだけでも3種類。アグレッシブなカムシャフトやバルブ、シリンダーの圧縮比も指定できた。

「祖父は、DS用エンジンから140psを絞り出していました」。甘く見積もられた数字に思えるが、短いクーペボディのシトロエンに対し、それに見合う動力性能を欲した人は少なくなかった。静止状態から、最短37秒で1kmを走り切ることが可能だったという。

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    セルジュ・コーディ

    Serge Cordey

    英国編集部ライター
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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