クルマ漬けの毎日から

2020.04.24

元レーシングドライバーのスターリング・モスが亡くなりました(享年90歳)。クロプリー編集長は友人のジャーナリストから、「無冠の帝王」の1960年代前半の引退について、あるエピソードを聞きました。

【クロプリー編集長コラム】スターリング・モス、1960年代の早すぎた引退

もくじ

少年時代の憧れ スターリング・モス
モス 引退後にバサーストへ
引退の決断 間違っていた!?

translation:Kaoru Kojima(小島 薫)

少年時代の憧れ スターリング・モス

友人のピーター・ロビンソンは私の恩師であり、また以前、AUTOCARのヨーロッパ特派員を担当していたこともある。

現在ピーターはシドニーに住んでいるが、今日、彼からメッセージをもらった。そこには、亡くなったスターリング・モスとの想い出が書かれていた。

1956年のル・マン。アストン・マーティンDB3Sでクラス優勝したモス(中央)。© Motorsport Images

少年時代、ピーターはモスに憧れていたという。自動車ジャーナリストになった後、彼は仕事を通してモスと交流を持つようになった。

そんなピーターだからこそ知っている、スターリング・モスの「引退」にまつわるエピソードをお伝えしよう(以下は、ピーターのメールから引用)。

モス 引退後にバサーストへ

ーーー1962年にグッドウッドのレースで大怪我をし、その翌年に引退したスターリング・モスは、1976年に再びレーシングドライバーとして、オーストラリアのバサーストへ戻ってきた。

1962年のグッドウッドで果敢にコーナーを攻めるモス。

ジャック・ブラバムと組んで、ミッドサイズのホールデン・トラーナでレースに参戦したのだ。

私(ピーター・ロビンソン)は大会期間中の週末、モスを取材した。ところが、モスとブラバムのマシンは、スタート前からトラブルに見舞われた。

スターティング・グリッドで後方から追突されてしまったのだ。だが、なんとか修理を終え、スタートすることができた。

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