F1がまだ「めちゃくちゃ」だった頃の話 ひどいチームで溢れかえった80~90年代 歴史アーカイブ

公開 : 2024.11.04 18:05

1989年のF1では、上限26台のグリッドに対し40台がエントリーしていた。当時は大小さまざまなチームが参戦していたが、規定違反、予算不足、技術不足で、かなり「ひどい」様相を呈していた。

混乱を極めた1989年

アンドレッティは世界トップクラスのモータースポーツ企業であり、スター級の技術スタッフを集め、ゼネラル・モーターズをエンジンサプライヤーとして迎えることを約束し、2億ドルのエントリー料を支払う用意もあった。しかし、F1の反応は「出ていけ」だった。

これは部外者を唖然とさせる状況であり、フェラーリマクラーレン、ウィリアムズの輝かしい才能と、小規模チームの駄目っぷりが並存していた1980年代とは正反対だ。

1989年、上限26台のグリッドに対し40台がエントリーしていた。
1989年、上限26台のグリッドに対し40台がエントリーしていた。

このカオスのピークは1989年で、スターティンググリッドの最大許容台数が26台だったにもかかわらず、40台(2024年の2倍)がエントリーした。このため、一部のマシンがレースに出られないだけでなく、金曜日の早朝に行われた追加セッションで予備予選に通過できないマシンもあった。

なぜ過剰なまでにエントリーが殺到したのか。それは、安全上の懸念と競争力の格差から、F1がターボエンジンを禁止したことに起因する。当時ターボチャージャーの技術はまだ発展途上で、ひどいタイムラグに悩まされ、小規模チームにとってはコストが重すぎた。

自然吸気エンジンの方がはるかに低コストで、V8、V10、V12、W12、さらにはフラット12など、さまざまな形式のエンジンが製造されていた。これにより門戸が広がり、1989年には3チームが参加し、いくつかの弱小チームはエントリー台数を1台から2台へと増やした。

当時のAUTOCAR誌のオーエン・ヤング記者は、「ロジスティクスが大変なことになっている」と書いている。

「昨シーズンもパドックは呻吟していたが、今季はさらに悪化するだろう。予備予選に落ちたチームは、その日のうちにマシンやトランスポーターを撤去し、ピットパス(ピットへの入場券)も返還するよう求められると聞いている」

シーズンプレビューで有力チームを評価した後、小規模チームに対しては少々厳しいことを書かざるを得なかった。BMSスクーデリア・イタリア、オゼッラ、ミナルディ、リジェ、ラルース、コローニ、ユーロブルン、リアル、ザクスピード、マネートロン・オニクス、AGS、ファーストだ。

これらすべてのマシンを思い浮かべることができればオタク度は10億点、ドライバーの名前を挙げることができればその2倍の点数を差し上げる。

実際のところ、ファーストのマシンは思い出せないだろう。というのも、ファーストはFIAのクラッシュテストに不合格となったからだ。設計者曰く、「標準以下の部品で作られた」という。

ヤング記者はオニクスのローンチパーティーに出席した後、「わたしが知りたいのは、彼らがどうやってやりくりしているのかということだ」と疑問を投げかけた。

「彼らはセットアップに1000万ポンド(2024年現在の価値で2600万ポンド/約50億円相当)をかけ、ロンドンでの派手なレーザーライトショーに1万5000ポンドを費やし、スポンサーに今夏の最大の望みは2レースで予選通過することだと告げる。一体どうやって? 勢いよくやってきては、鳴かず飛ばずで去るチームを何度見てきたことか」

記事に関わった人々

  • 執筆

    クリス・カルマー

    Kris Culmer

    英国編集部ライター
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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