アルファ・ロメオ「33ストラダーレ」 1/33オーナーとなる内野氏 伊同社訪問とカスタマイズ要望

公開 : 2024.04.13 11:45

アルファ・ロメオの発表した「33ストラダーレ」はその名にちなみ、世界限定33台。オーナーとなることを決めた内野氏がアルファ・ロメオ訪問にてこのクルマに込めた想いとカスタマイズをご紹介します。

2024年4月8日、イタリア トリノ発

アルファ・ロメオをイタリアの美に対し権威ある大使として、世界中に知らしめた価値ある名のもとに、輝かしい過去と魅力的な未来の間で忘れがたい体験をすることになったのは、日本の3代目経営者である内野徳昭氏である。

スタイルとドライビング体験という点で、アルファ・ロメオの現在と未来における本来の「マニフェスト」である、新型33ストラダーレを購入した33人の内の1人であり、音楽や料理、アートやデザインなど、あらゆるメイドインイタリーをこよなく愛する内野氏は、スポーツカー、とりわけイタリア車、アルファ・ロメオブランドの大ファンである。

内野氏とアルファ・ロメオ「33ストラダーレ」
内野氏とアルファ・ロメオ「33ストラダーレ」

それゆえ、高貴なイタリアン・スポーティの象徴として、ブランドの伝統と未来を融合させた新しい「2シーター」クーペである新型33ストラダーレの、ごく限られた情熱的なオーナーたちへの仲間入りをすることを決めたのである。

3月中旬にミラノに到着した内野氏は、ミラノとアレーゼという、アルファ・ロメオの象徴的な2つの場所を往復する刺激的な2日間を過ごし、アルファ・ロメオのチームから熱烈な歓迎を受けた。

内野氏は、アルファロメオのチームと一緒に、カスタムビルドの構成について全工程を再確認し、唯一無二の芸術作品を作り上げていった。そのミーティングでは、顧客が自分のストーリーをチームに語ることにより、感情豊かで実りある結果がもたらされた。

魅力的な新型33ストラダーレは、新しく設立されたアルファ・ロメオ各分野のプロフェッショナルで構成されるチーム「ボッテガ」において、ブランドデザイナー、エンジニアたちが33人のオーナーに会って話を聞き、ルネッサンス時代のブティック職人や、1960年代にイタリアで有名だった自動車職人たちの工房とまったく同じやり方で、彼らの個性的なクルマをともに作り上げていった。

アルファ・ロメオチームと過ごした興奮の2日間

初日、内野氏はアルファ・ロメオの故郷であり、誰もが認めるデザインとイノベーションの中心地である、ミラノの歴史と文化的な美しさを堪能した。

翌日、彼はアレーゼにあるアルファ・ロメオ・ミュージアムを訪問し、世界中の多くの人々と同様に、史上最も美しいクルマのひとつと賞賛される33ストラダーレ(クラシック)を鑑賞した。

内野氏とアルファ・ロメオ「33ストラダーレ」
内野氏とアルファ・ロメオ「33ストラダーレ」

このクルマのアイコンに対する彼の思いは強く、日本にある2台のアルファ・ロメオ4Cスパイダー・イタリア(限定車)と、毎日乗っているジュリアGTAmのナンバープレートには33が記されている。

この日のミーティングは、1967年に33ストラダーレのデザインが承認されたアレーゼの博物館、現在はボッテガの本社となっているサラ・デル・コンシリオで続けられた。

ホールで内野氏は”少量生産”という新しい発想のプロジェクトに専従する、アルファ・ロメオ・チームの専門家たちに会った。この33プロジェクトは、職人技と技術革新、そして顧客の要望を巧みに組み合わせたもので、20世紀初頭にアルファ・ロメオがイタリアの有名な自動車職人とのコラボレーションによって、その創造をモデルにしたときのようなものだ。

そのひとつが、有名なカロッツェリア・ツーリング・スーパーレッジェーラである。カロッツェリア・ツーリング・スーパーレッジェーラは、最も美しいアルファ・ロメオの数々にその足跡を残し、現在は新型33ストラダーレの生産において主導的な役割を果たしている。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR JAPAN

    Autocar Japan

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の日本版。

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