【ジャイアント・キラー】MG J4レーサー ブガッティやアルファに挑んだベビーK3 後編

公開 : 2020.11.15 18:50  更新 : 2020.12.08 08:18

小柄な優等生、MG Jタイプ。1930年代の欧州で、格上のライバルに果敢に戦いを挑んだブリティッシュ・スポーツです。タツィオ・ヌヴォラーリがドライブする格上のMG K3とも渡り合った1台を、ご紹介しましょう。

もくじ

MG K3を追い上げるMG J4
マセラティ4Cを追い抜く驚愕の速さ
自動車ファンの記憶に刻まれたMG J4の戦い
戦前のクルマとは思えないシフトフィール
当時のようにエンジンは熱いまま

MG K3を追い上げるMG J4

text:Mick Walsh(ミック・ウォルシュ)
photo:John Bradshaw(ジョン・ブラッドショー)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
ハンディキャップ・スタートの流れで、1933年RACツーリスト・トロフィーのオープニング・ラップを制したのは1083ccのライレー。しかし、ハミルトンのMG J4も2秒遅れで続いた。その後方では、ヌヴォラーリがドライブするMG K3が、大きなアルファ・ロメオ8Cに迫る速さを見せていた。

ハミルトンのペースは見事なもので、定期的にラップレコードを塗り替えるほど。最初の1時間が経過する頃には、レースを完全にリードしていた。

MG J4レーサー(1932〜1933年)
MG J4レーサー(1932〜1933年)

チャレンジングなロードコースということもあり、レースが進む中で数台のJ4が脱落。快走していたライレーもリタイヤし、ヌヴォラーリのK3は4位へと順位を上げる。

J4をドライブするハミルトンは、ピットストップでペースが狂う。給油を焦るあまりライディング・メカニックに燃料が飛散。スターターボタンの不調でスイッチをスパナを使ってバイパスすると、手袋に引火してしまう。

7分のリードを失ったハミルトンは遅れを挽回しようと、激しくJ4を攻め立てる。しかしヌヴォラーリは、47秒先行して周回していた。

残り15周。ハミルトンは語り継がれる走りを見せ、トップへ9秒差に迫る。ところが燃料が尽き、ピットストップを余儀なくされる。

20秒のピットストップを終え、ハミルトンのJ4はコースに復帰。一方のヌヴォラーリのK3も燃料タンクが空になり、残り2周でエンジン・ストップ。メカニックのアレック・ハウンズローはとっさにリザーブタンクへ切り替え、K3のエンジンは息を吹き替えした。

マセラティ4Cを追い抜く驚愕の速さ

最終的には40秒の差で、ヌヴォラーリのMG K3が優勝を掴んだ。チェッカーフラッグを受けたものの、K3は直後に燃料切れでストップ。ウイニング・ランに給油する必要があるほど、ギリギリの戦いだった。

ヌヴォラーリに負けたハミルトンだったが、小さなMG J4のパフォーマンスを極限まで引き出した走りは、語り継がれる内容として不足なかった。レースでの平均速度は、118.22km/hに達した。

MG J4レーサー(1932〜1933年)
MG J4レーサー(1932〜1933年)

RACツーリスト・トロフィーを完走したのは8台のみ。コースに残ったMG J4は、ハミルトンの1台だけだった。

激闘の2週間後、ハミルトンはMG J4をチェコスロバキアへ運び、マサリク・グランプリへ出場。ウェット・コンディションの中、再びセンセーショナルな走りを見せつける。

多くのクルマが滑りやすい路面で脱落する中、ハミルトンはペースを保持。7周後にはマセラティ4Cを抜き、2位へと浮上する。ずぶ濡れの群衆が見守る中、小さなMG J4は、レースをリードするブガッティT51Aを追走した。

T51Aをドライブするエルンスト・バーグガラーは、J4に追われ始めて10周後にピットイン。J4も同時にピット・インし、ピットクルーのチームワークで、ハミルトンをバーグガラーより先にコースへ送ることに成功する。

ハミルトンが驚愕の速さを見せつける中、不運にも自身の防水マントが顔を直撃。視界を失った彼はマシンの制御ができなくなり、J4は横転。ハミルトンは肋骨を骨折する大怪我をしてしまう。

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