【1960年代のセカンドカー】シトロエン・ビジューとウーズレー・ホーネット 小さな高級車 前編

公開 : 2021.05.02 07:05

1960年代、コンパクトカーに高級の風を吹き込もうとしたビジューとホーネット。異なる個性で売れ行きも別れた2台を、英国編集部が振り返ります。

モーリス・ミニとシトロエン2CVがベース

text:Andrew Robrts(アンドリュー・ロバーツ)
photo:Olgun Kordal(オルガン・コーダル)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
今でも蒸気機関車の勇姿を見れる、英国ノッティンガムシャーに残るグレート・セントラル鉄道。そこへ、1960年代のセカンドカー2台を揃えてみた。シトロエン・ビジューとウーズレー・ホーネットだ。

どちらも、傑作と呼ばれた小型車の派生モデル。ホーネットは、ミニがベースだとわかりやすい。他方、お化けのようなフロントフェイスにはエンブレムもなく見当がつきにくいが、ビジューのベースは2CVだった。

クリーム色のシトロエン・ビジューとグレーのウーズレー・ホーネット
クリーム色のシトロエン・ビジューとグレーのウーズレー・ホーネット

今はなきブリティッシュ・モーター・コーポレーション(BMC)が、ミニをベースに初めて高級志向のモデルとして仕立てたのが、スーパー。1961年6月にデビューしたものの、販売は伸びなかった。

1961年10月、好転を狙いウーズレー・ホーネットとライレー・エルフが登場。この兄弟は、郊外の高級住宅地に快く迎え入れられた。BMCは「優れた機能だけでなく品質も求める人に、ウーズレー・ホーネットは最適な選択です」と誇らしげにPRした。

当時のホーネットの英国価格は約672ポンド、エルフは約693ポンド。ダッシュボードに幅の広い蓋付きグローブボックスが付いていたことなどを理由に、ライレーの方が若干値段が高い。

ミニ・デラックスよりかなり高い価格だったが、喫茶店の路肩に停めても画になる佇まいだった。肩書の付いたサラリーマンが住むような、都市部の団地からも歓迎された。

かといって、誰もが強く惹かれたわけではない。ミニを設計したエンジニアのアレック・イシゴニスは、スタイリング上のギミックを批判している。

英国では選択肢が限られていた

自動車ライターのLJKセットライトはミニを評価する一方で、「冷え切った経済を示すような、ミニを利用したお高く止まったクルマ」だと嘆いた。だが、多くの英国人はそんな意見に耳を貸さず、ホーネットとエルフを求めた。

AUTOCARがライレー・エルフを試乗したのは1962年。「高い価格のエグゼクティブ・ミニ、あるいはエグゼクティブの妻のミニは、多くの人にとって納得できる内容といえます」。とまとめている。

ウーズレー・ホーネット(1961-1969年/英国仕様)
ウーズレー・ホーネット(1961-1969年/英国仕様)

1962年11月にはMk2が登場。848ccだったエンジンは、クーパー用をデチューンした998ccユニットに置き換えられた。1964年のモータースポーツ誌は、エルフは娘や妻、愛人への素晴らしいプレゼントだと表現している。

今よりジェンダー問題は軽視されていた時代。ウーズレーですら、女性の用事をずっと楽にする、といった表現を用いている。

今回ご登場願ったウーズレー・ホーネットは1963年式で、ルーフの色が違うツートーン。フォードヴォグゾールオペル)に同サイズのモデルはなく、トライアンフ・ヘラルドはひと回り大きく、シンガー・シャモアは登場する前だった。

英国車の中から、上級な前輪駆動の小さな2ドアサルーンを探している人にとって、選択肢は限られていた。ほかに選べるとすれば、シトロエン・ビジューがあったくらい。

シトロエンは1926年にロンドンの東、スラウへ自社工場を建設。関税を免れつつ、英国市場向けのクルマを生産した。2CVの量産が始まったのは1953年。当時の価格は593ポンドほどで、モーリス・マイナーやオースチンA30のライバルになった。

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