1928年式フォード・モデルAで2万kmの旅 オーストラリアから英国へ 前編

公開 : 2022.02.26 07:05

60年前の1962年、オーストラリアから英国までモデルAで新婚旅行に挑んだ、夫婦のクルマ旅をご紹介します。

英国が目的地のクルマ旅をモデルAで

1962年のある日、筆者と妻のヤンは旅立つために仕事を辞めた。妻は幼稚園の保育士で、自分は建築士だった。

2人が出会った時、ヤンは英国行きのフライト・チケットを予約していた。だが、彼女の計画は変更され、ほどなくして婚約することになった。

オーストラリアから英国を目指した、フォード・モデルAでの旅の様子:トルコ付近のアジアハイウェイにて
オーストラリアから英国を目指した、フォード・モデルAでの旅の様子:トルコ付近のアジアハイウェイにて

ヤンと出会う前、筆者は積極的に旅をしていた。6か月間も日本へ滞在したこともあった。そんな経験もあって、結婚は世界旅行を諦めるものではなく、実行へ移すきっかけになった。何人かの友人と同様に。

1960年代、オーストラリアの大学で貿易や経済を学んだような若者は、冒険へ挑むことが珍しくなかった。当然のように、自分も結婚式の直後にヤンと2人での大きな旅の計画を立てた。

ところが、その頃は飛行機での移動に大きな予算が必要だった。インドなどのアジア圏をバスで巡るような、かなり質素な旅程でも。

飛行機や船に乗れば、移動中にテントを張って寝る場所を準備する必要もない。温かい料理も出てくる。それでも、自動車が最も適した手段に考えられた。英国を目的地にした、クルマ旅へ計画が絞られていった。

旅の相棒に選んだのは、当時でも製造から30年以上が経過していた、1928年式のフォード・モデルA。生産開始は1927年だ。

とはいえ、1931年までの間に500万台以上が売れている。それだけの支持を集めるのだから、優れた信頼性と能力を備えていることは、疑いようがなかった。

沢山の荷物で1067kgのクルマは1950kgに

結婚した頃、筆者はオーストラリアの南東、メルボルンに住んでいた。冒険好きの友人に相談したところ、筆者の考えは非現実的なものではないとわかった。簡単ではないが、不可能ではないようだった。

見通しが付けば充分。若く健康な2人には、情熱があった。両親は半信半疑だったが、実行へ移すことにした。

オーストラリアから英国を目指した、フォード・モデルAでの旅の様子:道端でのキャンプ
オーストラリアから英国を目指した、フォード・モデルAでの旅の様子:道端でのキャンプ

お互いの友人で、筆者の建築仲間、ジョン・ダルトンも英国へ戻りたいと考えていた。そこで彼のテントも積んで、片道約2万kmに及ぶクルマ旅がスタートした。

モデルAは、簡単なレストアを済ませてあった。メルボルンのあるヴィクトリア州を走っている限りは好調で、不具合の予兆などは匂わせもしなかった。

出発は1962年11月末。筆者の兄と両親は、その日の昼食まで一緒に着いてきた。ヤンの妹のスーのほか、友人数名も早朝の門出に集まった。これっきり、再開できないかもしれないと想像した人もいたようだ。

オーストラリア大陸を南岸沿いに西へ走り、750kmほど進んだアデレードで祖父母と叔母に挨拶した。筆者たちが選んだクルマへは、一様に驚いていた。

アデレードを離れると、穀物輸送用トラックの計量台に遭遇した。モデルAの重さも図られたが、なんと重量は1950kgもあった。

荷物を降ろした車重は1067kg。オーバーヒートやタイヤのバーストなど、重さが問題の原因になることは明らかだった。450x12インチというサイズのスペアタイヤを、可能な限り買うことにした。

記事に関わった人々

  • 編集

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

1928年式フォード・モデルAで2万kmの旅 オーストラリアから英国への前後関係

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