1928年式フォード・モデルAで2万kmの旅 オーストラリアから英国へ 前編

公開 : 2022.02.26 07:05

ほかのクルマと比べれば正解だった選択

さらに西へ2700km走り、オーストラリア大陸の南西、パースに到着。そこでタイヤ4本を調達した。先回りしていた両親とも落ち合った。結果的に、そのタイヤだけでロンドンまで辿り着くことができたのだった。

振り返ってみると、モデルAはタフだった。シンプルで堅牢な、3.3L 4気筒エンジンを搭載する量産のフォードという選択は、正解だったらしい。

オーストラリアから英国を目指した、フォード・モデルAでの旅の様子:オーストラリアでの1コマ
オーストラリアから英国を目指した、フォード・モデルAでの旅の様子:オーストラリアでの1コマ

フォルクスワーゲンタイプIIランドローバーなど、一般的に丈夫だと考えられているクルマとも旅の途中で出会った。しかし、サスペンションやクラッチの不具合に悩まされていた。大抵は、荷物の積み過ぎが原因だったようだ。

ハッチバックのサンビーム・タルボや、ミニのサルーン版、モーリス1100とも遭遇した。小さなバスをキャンピングカーへ改造し、オーストラリアを目指している家族にも会った。だが、彼らも順調とはいえない様子だった。

メルボルンを旅立つ時、基本的なキャンプ道具をモデルAに積んでいた。防水性が完璧ではないテントに羽毛入りの寝袋、25mmの厚さのマットレス、簡単な料理道具など。便利な圧力鍋も含まれていた。

就寝用の装備は軽く、走行時はルーフラックに載せていた。モデルAの両サイドには、ランニングボードと呼ばれるステップがある。そこには、約16L入る水タンクを2本括り付けていた。

1本は飲料水。こちらは、必ずしも満たされているわけではなかった。もう1本は、食器洗いなどの雑用水。ちょっと怪しい水質のものだ。

スパイスが香る貨物船でインドへ

オーストラリア南部のナラボー平原を越え、パースまでの行程は10日間。アデレードで親戚の家へ2泊したが、それ以外はキャンプで夜を明かした。結果的には、そこが最も過酷な道路だった。約1800kmは砂利道。路面は平滑ではなく、大きな穴が空いていた。

硬い岩が露出し、隙間を細かい砂が満たす。走ると、全身が砂埃まみれになった。

オーストラリアから英国を目指した、フォード・モデルAでの旅の様子:インド付近のアジアハイウェイにて
オーストラリアから英国を目指した、フォード・モデルAでの旅の様子:インド付近のアジアハイウェイにて

パースのフリーマントル港から、モデルAと3人はインドの南西、コチ行きの船に乗った。大きな貨物船だったが、乗客用に3室の個室も備わっていた。筆者が乗船した時は、他に旅行者はいなかったようだ。

船は古く、明らかに速度は遅い。船内はカレーの匂いが充満していた。食事は、船員と一緒にダイニングで頂いた。茹でたジャガイモに卵のほか、クリスマスの時期には、英国の伝統的な料理も出た。だが、すべてにスパイスの香りが移っていた。

妻のヤンは船では唯一の女性。船員には気を使って過ごした。インドでは、途中に寄港したチェンナイで下船。荷降ろしが遅れたが、最後にフォードも降ろしてもらった。

予算に見合う安ホテルでは、ベジタリアン向けのような料理が基本。バナナの葉が器がわりで、フォークやスプーンは用意されなかった。手で食べる文化だからだ。

数日同じホテルで過ごしたが、小さな通りの市場で露店を発見。食事の入手方法を理解し、チェンナイを後にした。

執筆・撮影:Wal Hunter(ウォル・ハンター)

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 編集

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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