1928年式フォード・モデルAで2万kmの旅 オーストラリアから英国へ 後編

公開 : 2022.02.26 07:06

60年前の1962年、オーストラリアから英国までモデルAで新婚旅行に挑んだ、夫婦のクルマ旅をご紹介します。

景色の美しい場所で質素なキャンプ

インドではキャンプに適した場所を探すのに苦労したが、地元の人が遠くから見守ってくれているようだった。茂みにトイレ用の穴を掘る時は、少し厄介に感じたけれど。

フォード・モデルAでハイウェイを走り、3人は北上。徐々に気温も下がっていく。筆者の妻、ヤンは、入手できる現地の食材からアレンジ料理を作った。景色の美しい場所を選び、質素なキャンプを楽しんだ。

オーストラリアから英国を目指した、フォード・モデルAでの旅の様子:最後までタフに走ったモデルA
オーストラリアから英国を目指した、フォード・モデルAでの旅の様子:最後までタフに走ったモデルA

インドのほか、アフガニスタンなどでも肉は買えたものの、常にハエが飛び回り、持ってきた圧力鍋のありがたさを痛感した。大体の市場では卵とトマトを入手でき、それにも助けられた。

パキスタンへの途中、インドを西に抜け、ムンバイとアフマダーバードへ立ち寄った。そこでは親切なヒンドゥー教一家と出会い、家へ招いてもらった。友人から教えてもらった家族で、そのタイミングでひどい下痢に襲われた。

胃腸がインドの水に慣れた頃、タージ・マハルを見るために北部のアーグラで数日間を過ごした。そこでは、オープンしたばかりのホテル・オーナーと友人になり、ゲストとして招待してもらった。

インドでは、薄暗いバンガローに宿泊することもあった。旅行者やビジネスマンが滞在できるよう、英国によって建設された小さな宿だ。単純な建物で、掃除しやすいように壁や床も硬くシンプルだった。

パキスタンまでの道は比較的走りやすかったものの、困らされたのが、荷台を引く牛が道を蛇行しながら歩くこと。牛飼いは、居眠りしているようにも見えた。

アフガニスタンの大使館での出会い

さらに西へ進み、アフガニスタンとの国境、ハイバル峠へ。東部の首都、カブールをモデルAで目指した。そこで10日ほど滞在し、英国大使館で英語教師をしているというカップルを紹介してもらった。

彼らはとても親切で、夜を明かす部屋を貸してくれた。年代物のステーションワゴン、ヒルマン・ハスキーでアフガニスタン北部を案内してもくれた。

オーストラリアから英国を目指した、フォード・モデルAでの旅の様子:イラン南部にて
オーストラリアから英国を目指した、フォード・モデルAでの旅の様子:イラン南部にて

その頃は、インターネットも携帯電話もない。英国やオーストラリアの大使館を訪問することが、唯一、旅の途中で郵便物等を受け取る手段。心配する両親から、しばしば手紙が送られてきていた。

同時に、冒険好きな若者や外国人と出会える場所でもあった。その国や隣国に関する有用なアドバイスをもらえる、貴重な機会になった。

アフガニスタンでは、手持ちの英国ポンドや北米ドルを、闇市場で現地通貨に両替した。特にポンドとドルは強く、カブールでは公式レートの3倍前後で換金してくれることもあった。

モデルAには、クルマの越境に必要な国境通過許可証、カルネを載せていた。パスポートと同じように、入出国時に国境でスタンプが押されるものだ。だがアフガニスタンではカルネが通用せず、手続きに相当待たされた。

南部のカンダハールまでの道は整備が不十分で、多くの橋が水で流されていた。480km進むのに、3日間も要するほど。それでも、立ち寄る町では焼きたての美味しいパンと野菜、肉、バッファローのバターが手に入った。圧力鍋が胃袋を満たしてくれた。

記事に関わった人々

  • 編集

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

1928年式フォード・モデルAで2万kmの旅 オーストラリアから英国への前後関係

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