愛情を込めて「おばあちゃん」 ポルシェ718 W-RS(2) ディーノ 196 SPに匹敵した速さ

公開 : 2024.03.02 17:46

美しいボディに、フラット8をミドシップした718 356や550とは異なる新鮮な美しさ ニュル1000kmでクラス優勝を果たした1台を、英国編集部が振り返ります

ディーノ 196 SPに匹敵するパフォーマンス

ポルシェとして、前後にディスクブレーキが装備されたのは、スパイダーの718 W-RSが初めて。1961年のル・マンへ向けて既にテストされていたものの、走行時の摩擦が大きく、その年はやむなくドラムブレーキへ戻されていた。

しかし、2.0L水平対向8気筒、タイプ771ユニットを獲得した1962年のポルシェ718 W-RSは、過去にないほど重かった。1960年仕様の718 RS60から130kgも増え、車重は685kgに達していた。制動力に長けたディスクブレーキは、必須だった。

ポルシェ718 W-RS(1961年)
ポルシェ718 W-RS(1961年)

1962年のタルガ・フローリオでは、ポルシェ・ワークスであることを前面に出さず、イタリアのスクーデリアSSS レプッブリカ・ディ・ヴェネツィアの一員として参戦。718 W-RSのフロントノーズには、スクーデリアSSSのロゴがあしらわれた。

またクーペの718 GTRは、シチリア島出身のドライバー、ニーノ・ヴァカレラ氏にちなんで、レッドに塗装。イタリア・メーカーのマシンだと、勘違いした観衆も多かっただろう。ドイツ勢がホーム的に戦えることを狙った、戦略的なものだった。

真新しい771ユニットは、フェラーリ・ディーノ 196 SPに載った2.0L V6エンジンに匹敵するパフォーマンスを発揮。プラクティスでも、互角の競争力を披露した。

ところが、ダン・ガーニー氏がドライブする718 W-RSは、1周目を終えたところでスピン。石橋の欄干へ衝突してしまう。原因は、シャシーを限界まで追い込んだことではなく、ディスクブレーキが加熱し固着したためだった。

ニュル1000kmレースでクラス優勝

718 GTRは、レース中盤までに2位へ順位を上げていたが、こちらもブレーキが故障。それ以降の400km以上を、ヨアキム・ボニエ氏はエンジンブレーキと四輪ドリフトを駆使し、摩擦ブレーキに頼らずコーナリングするという、妙技でこなした。

世界ラリー選手権的な旋回が功を奏し、718 GTRは2台のフェラーリに次ぐ総合3位でゴール。プロトタイプ2リッター・クラスでは、1位の好戦績を残した。

ポルシェ718 W-RS(1961年)
ポルシェ718 W-RS(1961年)

続いて舞台をドイツへ移し、ニュルブルクリンク1000kmレースへ参戦。718 W-RSのステアリングホイールを握ったのは、グラハム・ヒル氏とハンス・ヘルマン氏で、ディスクブレーキも完璧に機能した。

ここで718 W-RSは期待通りの速さを見せ、プロトタイプ2リッター・クラスで優勝。総合3位に輝いている。

他方、718 GTRも順調に周回を重ねたものの、トランスミッションが故障。表彰台は逃した。それでも、771ユニットは目立ったトラブルを起こさず、耐久性の高さを証明している。

1962年のル・マン24時間レースは、GTカーのみが出場可能とされたルールが理由で不参戦。その後、718 W-RSは欧州マウンテン・ヒルクライム・チャンピオンシップの一部のほか、アメリカで6本のレースを戦った。

翌1963年仕様の718 W-RSには、前シーズンで得られた経験をもとに、グラスファイバー製ボディへ新しいドアとリアリッドを採用。サスペンションは、トレーリングアーム式から、ウイッシュボーン式へアップデートされた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ニール・ウィン

    Neil Winn

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジョン・ブラッドショー

    John Bradshaw

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

ポルシェ718 W-RSの前後関係

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