クセの強い見た目 ランボルギーニ350GT 売れるほど増えた赤字 理想のグランドツアラー(1)

公開 : 2023.12.09 17:45

ランボルギーニ初の量産モデルが、FRの350GT フェルッチオが理想としたグランドツアラー 処女作でありながら高水準の完成度 英国編集部が振り返る

フェルッチオが毎日乗りたいクルマ

1963年、フェルッチオ・ランボルギーニ氏が新規事業で掲げた目標は、「完璧なグランドツアラー(GT)」を完成させることだった。農耕用のトラクターで財を成した彼は、速くて高くて欠陥のあるクルマを、改良したいと考えていた。

AUTOCARの読者なら、フェルッチオが購入したフェラーリのクラッチ故障を巡って、エンツォ・フェラーリ氏と対立したエピソードをご存知かもしれない。より良いグランドツアラーを作ろうという、彼の技術者魂を奮い立たせたのだろう。

ランボルギーニ350GT(1964〜1967年/欧州仕様)
ランボルギーニ350GT(1964〜1967年/欧州仕様)

かくして、量産モデル第1号となったランボルギーニ350GTは、確かに当時の理想像へ近かった。優れたエンジンを搭載するだけでなく、美しく洗練された2シーターモデルという、彼が思い描いたビジョンが体現されていた。

フロントにV型12気筒エンジンを搭載し、リアドライブ。現在のブランド・イメージと比べると、少し普通のモデルともいえた。

彼の元へ集まった若く有能な技術者たちと、真新しいワークショップが、より高速で印象的なランボルギーニを導いたことは、必然といえただろう。それでも、50歳のフェルッチオが毎日乗りたいと考えたモデルは、落ち着いたグランドツアラーだったのだ。

当初は資金に余裕があり、最初から理想を追求することが可能だった。必ずしも、利益を求める必要はなかった。350GTの価格は、フェラーリの競合モデルより1600ドルも低く設定。トラクターとオイルヒーターの事業で、損失補填も難しくなかった。

世界最高峰の水準にあったV12エンジン

それでも、1970年代初頭にはオイルショックなどの世界情勢の変化へ揉まれ、イタリア経済は低迷。専門家が予想したとおり、ランボルギーニ・アウトモビリ社は経営破綻へ至ってしまう。

彼の潤沢な資金を持ってしても、スーパーカー・メーカーの維持は簡単ではなかった。そもそも、350GTが1台売れる毎に、1000ドル近くの赤字が生まれたといわれている。

ランボルギーニ350GT(1964〜1967年/欧州仕様)
ランボルギーニ350GT(1964〜1967年/欧州仕様)

350GTに搭載されたエンジンは、フェラーリがモータースポーツで培った影響を存分に受けた、ジョット・ビッツァリーニ氏によるV型12気筒。バンク角が60度で、非常に滑らかに回転しただけでなく、扱いやすさも求められていた。

当時のV12エンジンとして、世界最高峰の水準にもあった。チェーンで駆動されるカムシャフトの数は、合計で4本。フェラーリの同等ユニットの2本を凌駕する、ダブル・オーバーヘッド・カム(DOHC)・ヘッドが載せられた。

低速域での回転を安定させるため、先進的なプラチナ点火プラグも採用。メインブロックはアルミ製で、鍛造ピストンが組まれた。クランクシャフトも軽量で、ショートストロークのイタリアンV12ユニットの典型といえる設計でもあった。

ビッツァリーニが初めに描いたコンセプトから、ロードカー用としてチューニングも加えられている。カムシャフトは柔軟性を重視したプロファイルになり、ウェーバー・キャブレターは水平にマウント。圧縮比が下げられ、ウェットサンプ化された。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジェイソン・フォン

    Jayson Fong

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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