愛情を込めて「おばあちゃん」 ポルシェ718 W-RS(2) ディーノ 196 SPに匹敵した速さ

公開 : 2024.03.02 17:46

904へ受け継がれた718 W-RSの経験

ところが惜しくも、1963年のタルガ・フローリオでは、トランスミッションの故障で718 W-RSは7位フィニッシュ。最終周は、使えるギアが1段のみになっていたらしい。

クーペの718 GTRは、ヨアキムのドライブで総合1位を奪取。現役で活躍した4年間で、最高の勝利を残している。

1963年のタルガ・フローリオへ挑むポルシェ718 W-RSとGTR
1963年のタルガ・フローリオへ挑むポルシェ718 W-RSとGTR

この頃、ポルシェは新しいGT2クラスのスポーツカー、904の開発をスタート。ディスクブレーキやグラスファイバー製ドアパネル、リアウイングなどを与える価値を、718 W-RSとGTRは、充分に証明したといえる。

また771ユニットも、904/8に搭載。906や909 ベルクスパイダーなど、多くのマシンにも積まれていった。

718 W-RSの残りの1963年シーズンは、レーシングドライバーのエドガー・バルト氏による運転で、欧州ヒルクライム・チャンピオンシップへ参戦。1959年のタルガ・フローリオを、彼は718 RSKで優勝しており、W-RSとすぐに親しくなれたようだ。

高身長で髪の毛の薄い46歳のバルトは、ヒルクライムの達人といえた。771ユニットは243psを発揮し、ミドシップのポルシェは圧倒的な速さを見せた。

1963年のチャンピオンシップでは、7戦中6回、1964年には7戦中5回を優勝。フェラーリ・ディーノ 196 SPなどの強豪を抑え、2シーズンに渡って最速ヒルクライマーの座に輝いた。

愛情を込めた「おばあちゃん」のニックネーム

悔やまれることに、バルトは1965年にガンを悪化させこの世を去ってしまう。彼へ敬意を表する意味を込め、718 W-RSはモータースポーツから退役。4年間を通じ、32のモータースポーツ・イベントへ挑んだ戦いの歴史に、終止符が打たれた。

718 W-RSは、結果的に長期間実践へ投入され、ポルシェの技術者の間ではグロスムッター、ドイツ語で「おばあちゃん」というニックネームが付けられた。愛情を込めて。

ポルシェ718 W-RS(1961年)
ポルシェ718 W-RS(1961年)

振り返ってみると、前身となる550 スパイダーや、718 RSK、後継モデルの904に並ぶ名声は残していないかもしれない。それでも、718 W-RSがポルシェの内部で敬愛されていたことは間違いない。その価値は、もっと共有されても良いように思う。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ニール・ウィン

    Neil Winn

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジョン・ブラッドショー

    John Bradshaw

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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