【実車でカートコース爆走】 どんなコースも全開がF1ドライバーの性 アルピーヌイベントレポ

公開 : 2024.04.05 07:05

F1鈴鹿を前にアルピーヌイベントでF1ドライバー2人が登場。デモランのハズが、いつしかタイムアタックにすり替わり、オコンがEVカートコースを実車のA110Rで激走。コースレコードに迫る大人げないタイムを…

アルピーヌ・ジャポン主催イベントがお台場で開催

4月2日、東京はお台場、シティ・サーキット東京ベイで、F1鈴鹿戦を前にアルピーヌ・ジャポンが、エステバン・オコン選手とリザーブドライバーのジャック・ドゥーハン選手2人の記者会見、そしてデモランを行った。

じつはこの日は、アルピーヌ・ジャポン主催によるメディア対抗EVカートレースとF1ドライバーたちの会見という2部構成のプログラムだった。だが運悪く道路混雑により、予定の18時にアルピーヌ・レーシングのF1ドライバーの2人が間に合わなくなり、30分ほどの遅延が告げられた。

F1鈴鹿を前にアルピーヌ・ジャポン主催イベントがお台場で開催
F1鈴鹿を前にアルピーヌ・ジャポン主催イベントがお台場で開催    花村 英典

ところが何という巡り合わせだろう、同時に日本を訪れていたジャックの父であり、かつてモーターサイクルの最高峰でGP500ccクラスのチャンピオンに輝いた、生きるレーシング・レジェンドのミック・ドゥーハンが急遽、ステージでトークを務めることになったのだ。まるで雑談のような質疑応答は、ジャックとの親子、そしてレーサーとしての関係に及んだ。

なぜジャックが2輪ではなく4輪を選んだかといえば、5歳の時に2輪のダートトラックで指をひどく怪我したのがきっかけ。ドゥーハン父も右足など負傷は多々経験していたため、家族内で微妙な空気が流れたところ、友人であるミハエル・シューマッハが4輪のカートを勧めてくれたのだとか。

「別に彼が夢中になって打ち込めるスポーツなら、モーターサイクルでなくても、サーフィンでもバスケットでも何でもよかった」と父の顔も覗かせつつ「シューマッハが様々にサポートしてくれたこと」に感謝していると、ミックは述べた。やはり偉大なチャンピオン2世ともなると、単なる負けず嫌いに留まらない、泣かせるいい話だった。

遅延した2人がようやく登場

瞬く間に30分が経過して、A110Sに乗ってエステバン・オコンとジャック・ドゥーハンの2名が到着した。

着替えてステージに上がった二人は、到着早々に日本を楽しんでいる模様。

F1鈴鹿を前にアルピーヌ・ジャポン主催イベントがお台場で開催
F1鈴鹿を前にアルピーヌ・ジャポン主催イベントがお台場で開催    花村 英典

ドリフト好きと自称するオコンは「5歳の時にプレステ3で友達と遊んで以来、筑波でドリフトするのが憧れなんだ。いつも日本GPは秋開催だったから、タイヤの温度データとか気を使うことは多々あるけど、桜の季節に来たのは初めてで素晴らしいね」

対してジャック・ドゥーハンは、シーズン序盤のオーストラリアGPで父と走ったデモランの感想を求められ「すごく特別な体験。最初、彼は2輪でぼくは4輪という話もあったけど、万が一が怖いし、あれだけチャンピオンを獲った人と一緒に走るのは身の引き締まる想いだった」と、プロフェッショナルな側面からもコメントを述べた。

トークもそこそこに、この日のメインともいえるデモランへ。

いかにF1ドライバーといえ、狭いカートコースでカーボンパーツとアルミパネルの塊であるA110Rをふり回すなんて…想定外でした、てへペロ的な言い訳の許されない昨今、日本に1台しかないA110Rチュリニの広報車を預かるジャポン担当者の苦悩たるや、察するに余りある。

しかも盛り上がる場の雰囲気とはいえ、ジャックのEVカートのタイムが表示された直後で、MCによる説明はオコンとA110Rチュリニによる「デモラン」ではなく「タイムアタック」にいつしかエスカレートしていた。

断片的とはいえオコンも聞き取っていただろう。

記事に関わった人々

  • 執筆

    南陽一浩

    Kazuhiro Nanyo

    1971年生まれ。慶応義塾大学文学部卒業。ネコ・パブリッシングを経てフリーに。2001年渡仏。ランス・シャンパーニュ・アルデンヌ大学で修士号取得。2005年パリに移る。おもに自動車やファッション/旅や食/美術関連で日仏独の雑誌に寄稿。2台のルノー5と505、エグザンティア等を乗り継ぎ、2014年に帰国。愛車はC5世代のA6。AJAJ会員。
  • 編集

    AUTOCAR JAPAN

    Autocar Japan

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の日本版。

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