【戦後のクーペ 4台乗り比べ】ランチア・アウレリア/アストン マーティンDB2/ACアシーカ/ブリストル404 前編

公開 : 2021.03.20 07:05

魅惑的なボディを持つ、英国のアストン マーティンとAC、ブリストルが、イタリアのランチアと共演。戦後の6気筒クーペを、英国編集部が同時比較しました。

高性能スポーツクーペの先陣を切ったDB2

text:Greg Macleman(グレッグ・マクレマン)
photo:Olgun Kordal(オルガン・コーダル)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
長く続いた第二次世界大戦で、すっかり疲弊していたかつての欧州経済。英国も無残な状況にあった。自動車メーカーは乗用車開発をストップし、軍事産業へシフトしていた。

しかし戦争終結から数年後、1940年代が終わる頃には高級車需要が回復。戦前から裕福だった人たちだけでなく、ビジネスで成功した人たちの購買意欲も高まった。

アストン マーティンDB2 ヴァンテージ(1950〜1953年)
アストン マーティンDB2 ヴァンテージ(1950〜1953年)

そんな動きをリードするように生まれたのが、1949年に発売されたジャガーXK120。パワフルなロードスターと、実用的なクーペという2台体制で市場を牽引した。

1950年代が始まると、欧州各国の自動車メーカーも高性能モデルを発表。得意先での会議や社交場へ乗り付けたり、素敵な女性と荷物を載せて、国をまたぐ道路網を駆け抜ける手段となった。

金回りの良いドライバーには、2ドア・スポーツクーペの選択肢が複数誕生した。英国生まれのブリストル404にACアシーカ、イタリア製のシックなランチア・アウレリアB20 GTなど。

その中でも高性能スポーツクーペとして一足先に発表され、今へ続くレガシーを備えるモデルといえば、1950年のアストン マーティンDB2だろう。今回ご紹介する4台の1台でもある。

英国の老舗、アストン マーティンというブランドは激動の経済に耐えつつ、時には沈没寸前の状態にもあった。ズボロウスキー伯爵やチャーンウッド夫人といった投資家が存在しなければ、消滅していた可能性もある。

直列6気筒エンジンにモダンなクーペ・ボディ

戦後のアストン マーティンも経営危機に陥っていたが、救済の手を差し伸べたのがデビッド・ブラウン。トラクターの製造で成功していた財力を活かし、ブランドを利益率の高い高級スポーツカー市場へ導いた。

ブラウンが初めにとった行動は、クロード・ヒルが手掛けた2.0L 4気筒エンジンを載せたツーリッター・スポーツの開発。1948年のスパに参戦し、市場の勢いやクルマの性能を確かめた。

アストン マーティンDB2 ヴァンテージ(1950〜1953年)
アストン マーティンDB2 ヴァンテージ(1950〜1953年)

サイクルフェンダーをまとうツーリッター・スポーツは、レースに勝利。だが1948年のロンドン自動車ショーでは、一般的なロードスター・ボディをまとうモデルほどの注目は得られなかった。スタイリングの評価は良かったが、注文は振るわなかったようだ。

アストン マーティンの契機となったのはその2年後。スポーツシャシーをベースに、ラゴンダ由来の2580cc直列6気筒エンジンと、デザイナーのフランク・フィーリーが描いたモダンなクーペ・ボディが融合したモデルが誕生する。DB2だ。

SUキャブレターを2基搭載し、ウォルター・オーウェン(WO)・ベントレーが設計したDOHCヘッドが組み合わされ、最高出力は106psを獲得。ロングノーズとハッチバックをかけ合わせたデザインは大きな注目を集め、ライバルブランドへも刺激を与えた。

DB2はラグジュアリー・モデルの購買層の心を掴み、ロードレーサーとしてだけでなく若き成功者からも支持を獲得。ヒットモデルとなった。

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