【WRCを闘ったホンモノ】ランチア、フィアットのラリーカーが勢揃い オートモビルカウンシル2021

公開 : 2021.04.12 11:45  更新 : 2022.11.01 08:57

オートモビルカウンシル2021の企画展で注目を集めたのが「時代を進めたラリーカーの戦闘美」。1970年代~80年代のWRCで活躍した本物の4台が展示されました。

歴史を創り上げたラリーカー4台

text&photo:Kazuhide Ueno(上野和秀)

今年で6回目の開催となる「オートモビルカウンシル2021」が、千葉県・幕張メッセで開催された。

主催者によるテーマ展示は「時代を進めたラリーカーの戦闘美」と題され、WRCで大活躍した3台のランチアと1台のフィアットのラリーカーが登場。

オートモビルカウンシル2021の企画展「時代を進めたラリーカーの戦闘美」。
オートモビルカウンシル2021の企画展「時代を進めたラリーカーの戦闘美」。    上野和秀

いずれも日本国内のコレクターが所有する車両で、どれも完璧といえる素晴らしいコンディションに保たれていた。

それでは栄光の4台をご紹介しよう。

ランチア・フルビア・ラリー1.6HF

ランチアの競技部門である「HFスクアドラ・コルセ」は、レース用マシンからラリーカーまで手掛けてきた。

1960年代後半からフルビア・クーペでラリーに挑み、当初ラリー1.3HFで闘う。

ランチア・フルビア・ラリー1.6HF
ランチア・フルビア・ラリー1.6HF    上野和秀

のちに戦闘力を高めるために1.6Lに拡大したラリー1.6HFを投入し、1972年はモンテカルロ・ラリーでの優勝を皮切りにモロッコ、サンレモを勝ち取る活躍を見せた。

展示されたのは、18台製造されたワークス・ラリーカー最後の1台。

1974年のサファリ・ラリーで、後にサファリ・マイスターとなるシェカ・メッタ/マイク・ダウティ組が駆り、11位でフィニッシュした個体である。

ランチア・ストラトスHFグループ4

ランチアがラリー制覇のために開発した「パーパスビルド・マシン」がストラトスだ。

回頭性を高めるためにホイールベースは2180mmと短くされ、全長3710mm、全幅1750mmという特殊なディメンジョンを持つ。

ランチア・ストラトスHFグループ4
ランチア・ストラトスHFグループ4    上野和秀

パワーユニットはディーノ用のV6 2.4Lをミドに搭載。デビューするや本領を発揮し、1974年から3年連続でWRCのマニュファクチャラーズ・チャンピオンを獲得する強さを見せつけた。

展示されたのは、1981年のスペイン・ラリー選手権を戦い、シリーズ・チャンピオンを勝ち取ったストラトスHFグループ4後期型2バルブ仕様である。

フィアット131アバルト・ラリー・グループ4

フィアットの首脳部は、ストラトスで優勝してもプロモーション効果が薄いため、直接セールスにつながるファミリーセダンのフィアット131をベースとしたラリーカーにスイッチすることを決める。

開発を担当したのはアバルト。公認後に改造できないサスペンションやボディワークを大きく変更し、実戦に焦点を合わせた改装が行われた。

フィアット131アバルト・ラリー・グループ4
フィアット131アバルト・ラリー・グループ4    上野和秀

デビューするや1977年、1978年、1980年にワールド・チャンピオンをフィアットにもたらす大活躍を遂げる。

展示されたのは、1977年開幕戦のモンテカルロ・ラリーでターマックの名手ジャン-クロード・アンドリュー/ビシェ組が、ムナーリ駆るストラトスに2.16秒まで追い上げて2位でフィニッシュしたマシンそのものである。

記事に関わった人々

  • 上野和秀

    Kazuhide Ueno

    1955年生まれ。気が付けば干支6ラップ目に突入。ネコ・パブリッシングでスクーデリア編集長を務め、のちにカー・マガジン編集委員を担当。現在はフリーランスのモーター・ジャーナリスト/エディター。1950〜60年代のクラシック・フェラーリとアバルトが得意。個人的にもアバルトを常にガレージに収め、現在はフィアット・アバルトOT1300/124で遊んでいる。

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