【始まりのキットカー】1959年式ジネッタG2 現存は6台以下 部品の山から再生 後編

公開 : 2021.08.08 17:45  更新 : 2022.08.08 07:27

新車でも珍しい存在だった、ジネッタG2。現存台数は6台もないというブランド最初期のキットカーを、英国編集部がご紹介します。

ジネッタの口火を切った1958年のG2

text:Richard Heseltine(リチャード・ヘーゼルタイン)
photo:John Bradshaw(ジョン・ブラッドショー)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
ジネッタの創業者、アイバーとトラバース・ウォークレット兄弟が仕上げたクルマに、さらに2人の兄弟も感化。ボブとダグラスが加わり、英国のキットカー市場へ参入することになる。

ジネッタ初の広告は、1958年2月にオートスポーツ誌へ掲載。シャシーとボディというベーシックなパッケージ価格は、156ポンドという手頃さだった。この価格は、シャシーの重量で決められている。156lb(71kg)で仕上がっていた。

ジネッタG2(1959年/英国仕様)
ジネッタG2(1959年/英国仕様)

実家の納屋にワークショップが準備され、ジネッタの量産がスタート。初期のモデルはG1と呼ばれたが、すぐにG2として改良が施された。注文が入ると、オプションとしてスプリットビーム式のフロントサスペンションが追加されている。

口火を切ったジネッタG2だが、市場へ提供された期間は短かった。兄弟は、数年前から練っていたグラスファイバー・ボディのマシン開発をスタートさせ、1958年11月にはベアシェルの状態で販売を開始する。

1960年初頭には、スクエア・チューブシャシーにグラスファイバー・ボディの載った、高度なジネッタG3が誕生した。さらに1960年の終わりには、ブランドの評価を決定づけるG4が発表される。

ジネッタG4は、スポーツカーとして高い支持を集めた。農家の納屋から離れ、クルマの組み立てに専念できる環境を整えることも許した。

ジネッタ専門家のトレバー・パイマンの調査によると、G2は1959年以降、ほとんど製造されていないという。100台分のキットを販売したと、ジネッタは公表している。何台組み上げられたのかは不明だが、25台前後のようだ。

残骸のような部品の山だった

現在まで生き残っている台数は、6台もないと考えられている。つまり、今回ご登場願ったジネッタG2は非常に珍しい。

360 KNUのナンバーを付けるG2は、初代オーナーのキース・ジェフリーズが組み立てたもので、1959年3月25日に英国で登録を受けている。キースは後の妻となるバージニアと一緒に、モナコまで旅行したらしい。

レストアを受ける前、バラバラ状態だったジネッタG2
レストアを受ける前、バラバラ状態だったジネッタG2

その後1962年に、ロンドンで売却。2番目のオーナーはG2をリビルドした。四角いテールセクションと、ロータス・セブン風のクラムシェル・フェンダーが追加された。エンジンも、古いサイドバルブ・ユニットから新しいフォード製4気筒へ置き換えた。

1980年3月、現在のオーナーのロジャー・コリンズとピーター・デイビスの2人が共同で購入。今も大切に維持している。

ジネッタの売却広告を目にした2人は好奇心を抱き、英国南西のディナス・ポウィスへ向かう。そこで対面したのは、かつてジネッタG2だったという部品の山だった。

耐久ラリーでの経験を持っていた2人は、残骸のような状態のG2を400ポンドで購入。クルマのレストアに着手する。

デイビスはラリー競技へしばしば参加し、レストアはなかなか進まなかった。並行して進められた小さなスポーツカー、リエージュの製作も時間を奪った。コリンズも技術者としての仕事が忙しく、充分な時間を確保できずにいた。

ジネッタの復活は、三歩進んで二歩下がる、といった状態だったという。少しずつ、前進していたが。

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