二条城で美を競う コンコルソ・デレガンツァ 京都 前編

2018.4.13-14

世界遺産に指定されている京都二条城という最高の舞台でコンコルソ・デレガンツァ京都が開かれました。3回目となる今回は創立100周年を迎えたザガートをメインフューチャーとされ、世界中から珠玉といえるモデルが集い、その美を競い合いました。

text & photo:Kunioo Okada(岡田邦雄)

2016年秋に第1回目が開催され、2018年の桜の季節に第2回目が開催されたコンコルソ・デレガンツァ京都が3回目の開催の運びとなった。今年は前2回とは違い、100周年を迎えたザガートとランボルギーニがメイン・テーマとなり、その両車が多く集結した。ここでは、前編としてザガートの1960年代までの作品に限って紹介したい。後編ではそれ以降、現代までのザガートと、それ以外の参加車両を紹介する。またランボルギーニについても別稿となるので、そちらをご覧いただきたい。

二条城という特別な舞台

欧米のコンクール・デレガンス(Concours d’Elegance、もともとフランス語だが、英語圏でも通用する。Concorso d’Eleganzaはそのイタリア語表記)は、フランスではかつては薔薇園が名高いバガテルの庭園や近年ではシャンティリーの城館、イタリアではコモ湖畔の貴族の館(ヴィラ)の広大な庭園、アメリカでは名門ゴルフ・クラブのペブル・ビーチなどが有名だ。美しいクルマを並べるのにふさわしいロケーションが、コンクール・デレガンスの成否を決めると言っても過言ではないだろう。

日本でも、欧米に倣って、2007年より東京と横浜で数回開催されたが、参加車両こそ、それぞれ魅力のあるクルマが集まったが、ロケーションという点では、絶対的な魅力がある場所ではなかった。それが、継続できなかった理由のひとつであっただろう。

京都の二条城という、世界レベルでも遜色がなく、他に比べようがないような特別な舞台を得たことが、コンコルソ・デレガンツァ京都の強みだろう。

コンクール・デレガンスとは

ヴィンティージカーの定義は正確には、1919年から1930年までという時代区分がある。それは、第1次世界大戦を経て自動車は技術的に飛躍的に進化したが、1929年の大恐慌によって自動車メーカー企業存続のためにコストダウンを計るようになるまでの約10年間に、最も優れた車が輩出したという認識によるものだ。コンクール・デレガンスはそんなヴィンティージ・エラにフランスで生まれ、`30年代に爛熟した。当時は自動車メーカーが製造するシャーシーに、カロスリー(Carrosserie、フランス語でボディ製造専門工房。

イタリアではカロッツェリアCarrozzeria 、英語ではコーチビルダー Coach builderと言う)が顧客の注文によってボディを制作することが多かった。特に高級車がそうで、やがて、ブーローニュの森などで、富豪たちが、それぞれのカロシェに特注したクルマを持ち寄って、その美しさを競い合うコンクールが開かれるようになる。その頃は、とくに女性のドレスと品種改良した愛犬とがセットされた三位一体だった。それが近年ではもっぱら、クラシックカーの品評会ということに意味合いが変わった。だから、京都もクラシックカーの品評会である。

歴代のザガートが世界から集結

今回のテーマである、ZAGATOは、1916年にウーゴ・ザガートによって創業された。19世紀の馬車製造業から転じたカロッツェリアも多いが、ザガートの場合は、ウーゴが飛行機の機体製作に携わった経験から、軽量で、空力的なボディを作り出すのに秀でていた。実際、ミッレ・ミリアで優勝したアルファ・ロメオなどのボディを手がけことで、ザガートの名声は高められた。
戦後は、とくに2代目のジャンニ・ザガートが、自社のボディに載せ替えたフィアットやランチアやアルファ・ロメオに乗って、レースで活躍したので、ますますレース用のスポーツカーのボディ製作の仕事が舞い込んだわけだ。また、ジャンニ・ザガートは、レースで得られた経験がスポーツカーのボディの製作にとても役立ったと言う。他のカロッツェリアとは違って、飛行機の技術や、レースの現場から生まれたザガートのデザインをこの機会にとくとご覧いただこう。

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