【41年の長寿は自動車世界の奇跡】クラシック・ミニ、なぜ今も人気? 背景に日本市場

公開 : 2020.02.01 05:50  更新 : 2021.10.09 22:40

クラシック・ミニの41年という生涯は「奇跡」といっていいでしょう。なぜミニは長きに渡り愛され、そのフォルムを維持できたのでしょうか。そこには日本市場と切っても切れない関係があったのです。

奇跡のロングライフカー

text:Takuo Yoshida(吉田拓生)
photo:Satoshi Kamimura(神村 聖)

自動車の生産期間は、近年ではほとんどの場合10年以内となっている。

コロコロと変わっていく流行にモデルの魅力がついて行かないし、10年もすれば機構的な進歩も著しいからだ。

1959年製造の初期型のクラシック・ミニと、その設計を行ったサー・アレック・イシゴニス。天才エンジニアと呼ばれた彼の才覚なくして、41年間ものロングライフカーは誕生しなかった。
1959年製造の初期型のクラシック・ミニと、その設計を行ったサー・アレック・イシゴニス。天才エンジニアと呼ばれた彼の才覚なくして、41年間ものロングライフカーは誕生しなかった。

しかも衝突安全性の向上や排気ガスなどの環境性能も厳しさを増しているし、完全自動運転に近づくほど増えるセンサー類のインストールなど、クルマをプラットフォームごと作り変えないと対応できない事案が少なくない、ということも関係している。

だから長寿のクルマ、つまり同じモデルが長い間創り続けられるというのはそれ自体が奇跡に近い。

1959年に生産が開始され、2000年まで作り続けられたクラシック・ミニの41年という生涯は、例外中の例外。

例えばポルシェ911だってリアエンジンという不文律の下で、定期的にフルモデルチェンジされた結果としての長寿なのだから。

とはいえクラシック・ミニも、全く同じボディのまま作り続けられたわけではない。着々と改良が施された結果、ほぼ同じスタイルながら、マーク1から10まで10種類が存在するのだ。

今回スポットを当てるローバー・ミニは、80年代後半から生産終了まで作られた、マーク6以降のモデルとなる。

作りの良さと時代が長寿の鍵

クラシック・ミニのロングライフの理由は数多あるが、ざっくりと整理するならば巧妙なクルマの作りと時代背景とに分けられる。

クラシック・ミニはスエズ動乱を契機に開発されたエコカーである。

エンジンの真下にギアボックスを抱えたコンパクトなパワートレインと広々とした室内がよくわかる透視図。モノコックボディの前後の強固なサブフレームが独立サスペンションを支持している。
エンジンの真下にギアボックスを抱えたコンパクトなパワートレインと広々とした室内がよくわかる透視図。モノコックボディの前後の強固なサブフレームが独立サスペンションを支持している。

前後に頑丈なサブフレームを持つボディは、サイズに対して非常にコストが掛かっていた。

またギアボックスをオイルパンの中に仕込んだパワートレインも専用に開発されたもの。ローバーの時代にはインジェクション化も行われ排気ガス規制に対応している。

一方小さなモノコックボディは高い強度を誇り、走りや経年変化、そして衝突安全にも有利に働いたのである。

時代背景も興味深い。

60年代の終わり頃から財政状況の悪化や労働意欲の低下など、いわゆる「イギリス病」に苦しんでいたイギリスの自動車産業は、1973年のオイルショックで完全な低迷期に突入する。

クラシック・ミニの後継モデルは何度も企画され、実際に販売もされているが、ミニを越える小型車を生み出すことができなかったのである。

後継モデル不在のまま、なし崩し的に作り続けられたクラシック・ミニは、一時期は「ダメなイギリス」の象徴でもあった。例えばミスター・ビーンの愛車として度々滑稽に扱われていたように。

そんな状況を一変させたのは、日本におけるブームの勃発だった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    吉田拓生

    Takuo Yoshida

    1972年生まれ。編集部員を経てモータリングライターとして独立。新旧あらゆるクルマの評価が得意。MGBとMGミジェット(レーシング)が趣味車。フィアット・パンダ4x4/メルセデスBクラスがアシグルマ。森に棲み、畑を耕し蜜蜂の世話をし、薪を割るカントリーライフの実践者でもあるため、農道のポルシェ(スバル・サンバー・トラック)を溺愛。

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