【英国初の高速道路を闊歩】ヒーレー3000とジャガーMk2、フォード・ゼファー 前編

公開 : 2020.02.01 07:20  更新 : 2020.12.08 10:56

ロンドンからリーズまでを結ぶ英国初の高速道路、M1。英国の自動車産業に革命をもたらし、オースチン・ヒーレーやジャガー、フォードへも大きな変化を与えました。当時の3台を並べてみると、1959年のM1の様子もよみがえるようです。

1959年、英国初の高速道路が開通

text:Andrew Robrts(アンドリュー・ロバーツ)
photo:James Mann(ジェームズ・マン)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
英国ロンドンからリーズまでを貫く高速道路がM1。1959年11月2日、一番初めの区間が開通した時、英国政府は次のような声明を出した。「高速道路の規模は、これまでの大自然を小さく感じさせるほどのスケールがあります」 と。

それまでは至る所で時速30マイル(48km/h)ゾーンの規制が適用されていた英国。ワトフォードからクリックまで、制限速度なしの道路が完成したと聞いても、夢のようで実感はなかっただろう。

オースチン・ヒーレー3000 MkI(1959年〜1961年)
オースチン・ヒーレー3000 MkI(1959年〜1961年)

1959年に登場した新しいオースチン・ヒーレー3000と、ジャガーMk2 3.8は、高速道路のM1に適合する性能を備えていた。ひどい運転マナーやヒルマン・ハスキーのドライバーを怖がらせたとして、年代物のフォード製のパトカーに追われることもあったはず。

その中でも特にオースチン・ヒーレー3000は初期のM1と関係が深い。当時の新聞、デイリー・ヘラルド紙に雇われた人物がヒーレーを購入し、200km/h以上での走行テストを行ったのだ。

BMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)は1959年7月にオースチン・ヒーレー3000を発売。2シーターのBN7と2+2のBT7をラインナップした。1961年初めにMkIIが登場するまでに、2825台が製造されている。

今回ご登場いただいたスティーブ・エベレストが所有するBN7は、英国で販売された157台のうちの1つ。一点の曇りもないスチールブルーとオールドイングリッシュ・ホワイトの2トーンが眩しい。

人間らしい快適なドライブとは縁遠い

「ヒーレー3000を所有して17年になります。ボディは購入した時点で仕上がっていました。わたしが購入してからは、エンジンとトランスミッションを専門家に診てもらっています」

1952年に発表されたヒーレー100から、7年越しで改良が加えられたヒーレー3000。「ヒーレー100/6と比較して、3000は少しパワーアップし運動性能も向上しています。フロントにはディスクブレーキも装備されました」 とスティーブが説明する。

オースチン・ヒーレー3000 MkI(1959年〜1961年)
オースチン・ヒーレー3000 MkI(1959年〜1961年)

2912ccのエンジンに話題が集まりがちだが、スティーブのクルマの場合、エンジンがリビルトされた際にハイパフォーマンス・カムが組まれている。

「新車当時、ヒーレー3000はクロスプライ・タイヤを装着していました。ですが専門ショップの意見に従って、今はより現代的なラジアルタイヤを履いています。右ハンドル車の特徴の1つが、少し変わった位置のシフトレバー。オースチンA90アトランティックのトランスミッションを流用しているためです」

標準装備に、巻き上げ式のサイドウインドウなど軽薄なものは備わっていない。1959年の一般的なドライバーは、人間らしい快適なドライブには興味を持たなかったようだ。

スティーブが教えてくれる。「ソフトトップは、簡素なキャンバスとフレームがあるだけ。でも3000にはボディの外にもドアハンドルがちゃんと付いていますし、このクルマにはヒーターも付いていますよ」

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