【アルピナと25年ぶりの再会】BMW E30 M3と別れて手に入れたC2 2.7 前編

公開 : 2020.04.11 07:50  更新 : 2020.12.08 10:55

2015年のシルバーストーン・クラシックに向けてアルピナC2 2.7。放置車両が発見され、新車当時の技術者の手で復活を遂げました。今では一家の宝物へと変わった、E30 M3とは異なる魅力を確かめてみましょう。

ノイエ・クラッセから始まったアルピナ

text:Greg Macleman(グレッグ・マクレマン)
photo:John Bradshaw(ジョン・ブラッドショー)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
1973年という年は、自動車における重要な分岐点だったのかもしれない。その頃の英国人は今以上にヨーロッパ大陸に刺激を求めていた。

音楽から外食メニューまで、多くの変化が及んでいた。実際にホリデーを過ごすのが、スペイン南部のマルベリャではなく、英国南部のマーゲイトだったとしても。

BMWアルピナC2 2.7(E30 1989年)
BMWアルピナC2 2.7(E30 1989年)

味の好みが変化するように、エキゾチックな高性能サルーンへの注目も高まった。オースチン・アレグロやモーリス・マリーナが自家用車だった時代、生ぬるい大皿の料理を食べていた英国人は、新しいものを求めていた。

当時、英国に初めて上陸した外国勢の1つが、アルピナだった。ドイツ・ブーフローの古いタイプライター工場を拠点にしていた、小さなチューニングブランドだ。

BMWノイエ・クラッセ、1500サルーン用のチューニングキットで始まったアルピナ社。最終的にはBMWのモデルラインナップの大部分をカバーする、人気ブランドととなった。

アルピナは、BMWのエントリーモデルから、会社の重役が乗るようなエグゼクティブ・サルーンまで、すべての性能を引き上げた。ドイツならではの存在に、英国人は強く惹き付けた。

英国でのアルピナは、ウェスターハムにある小さな村、サリーを拠点とするクレイフォードから始まっている。クレイフォードは当時、コンバーチブルへのコンバージョンで知られた存在だったが、1970年代にはドイツ・ブランドの輸入も手掛けていた。

E21とは裏腹に人気の出なかったC1

クレイフォードが初めに英国に持ち込んだのが、BMW 2002のデモ車両。だが1982年になると、アルピナの英国での販売はシトナー社へと移る。ツーリングカー・レーサーだったフランク・シトナーを代表に、BMWの販売をしていたノッティンガムのディーラーだ。

シトナーへの転換は、英国ではアルピナのターニングポイントになった。店頭でアルピナが展示され、右ハンドル車も用意された。かつて英国で走るアルピナはすべて、ノッティンガムの工場でチューニングキットが組み付けられていたのだ。

BMWアルピナC2 2.7(E30 1989年)
BMWアルピナC2 2.7(E30 1989年)

1980年代に入ると、肩パットやバラードの流行する中で、BMWは2代目の3シリーズを発表。E30型と呼ばれるコンパクトサルーンは、英国でも大成功を納める。

小さなBMWは、不動産業者や銀行の投資家、サッカー選手、芸能人にまで普及。多くの人気を集めた理由は、3シリーズが備えていた幅広い魅力にあった。当時考えつく、殆どのボディ形状が選べたのだ。その普及ぶりは、日本では六本木のカローラと呼ばれるほど。

4ドアサルーンを初めに、コンバーチブル、クーペ、ステーションワゴンまでがラインナップされた。アルピナはC1 2.3を、1983年にリリースした。

前世代の2316cc直列6気筒エンジンに改良を受け、オリジナルのE30の最高出力は139ps。そこへアルピナの手でさらに30psを追加していたが、多くの人の印象に残ることはなかった。カムはアグレッシブで、3500rpmを超えて本領を発揮する性格だった。

間もなくして標準のBMWは150psへとパワーアップし、高価なアルピナC1の訴求力を低めた。アルピナC1は英国へ上陸するが、販売は振るわず。シトナーは販売目標を47台に設定したものの、実際は35台に留まった。

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