【アルピナと25年ぶりの再会】BMW E30 M3と別れて手に入れたC2 2.7 前編

公開 : 2020.04.11 07:50  更新 : 2020.12.08 10:55

英国のアルピナを組んだ1人の男

それを受け、E30の大排気量エンジンをベースにした、アルピナB6 2.8が登場。259台が製造されたが、シトナーで右ハンドル車が作られたのは1台のみ。そのかわりに、より手頃なC2 2.5の販売を考えた。

エンジンは経済性も備えた小排気量版の、イータと呼ばれたM60ユニット。323iのクランクシャフトを変更し、マーレ製のピストンを組んだ。排気量は2554ccへとわずかに小さくなったが、最高出力は184psへと向上した。

BMWアルピナC2 2.7(E30 1989年)とマーク・アドキン(左)、アレックス・ハント(右)
BMWアルピナC2 2.7(E30 1989年)とマーク・アドキン(左)、アレックス・ハント(右)

不満のないアップグレードを果たしていたが、C2 2.5の買い手は見つからなかった。さらに大排気量のC2 2.7が1986年に登場するまで、英国ではドライバーの想像力を掻き立てなかったのだろう。

満を持して英国に入ったC2 2.7。最初の1台だけは、ノッティンガムではなく、アルピナの本拠地であるドイツ・ブーフローで組み立てられた。

担当したのは、アルピナ社から英国のチューニングを任されていた、マーク・アドキン。英国人とドイツ人のコラボレーションだ。

「当時はわたし1人で、フルタイムで働いていました」 と振り返るアドキン。1983年から1989年にかけては、アルピナのコンバージョンに専念したという。

「C2のほかに、B9、B10、B11などを作りました。1人、ドイツへV12エンジンを組み立てるために向かったこともありました。このクルマは7シリーズがベースの、フランク・シトナーのデモカーでした。C2 2.7と競合するクルマは、当時の市場にはありませんでしたね」

最初のC2 2.7がノッティンガムを離れてから3年後、1989年にアドキンのチームはラックス・シルバーに塗られた小さな2ドアクーペを手掛ける。ナンバーはF885 JCHが付いていた。

フロントヒンジの四角いボンネットを持ち上げ、シャシープレートを指差すアドキン。シャシー番号はMAと、彼のイニシャルで始まっている。

当時のM3を超える最高出力を獲得

「アルピナになる前は、Mテクのサスペンションと、Mテクのボディキットを得た325iでした。まっさらの新車をもとに、ほとんどすべての部品を外しました。エンジンとトランスミッション、サスペンション、エグゾーストやブレーキも。アルピナに変えるために」

「フロントとリアにスプリングレートの高いサスペンションを組んで、ダンパーはビルシュタイン製に交換。ジャンスピード製のチューブラー・エグゾーストマニフォールドを取り付けました。その先は、アルピナ製のマフラーです」

BMWアルピナC2 2.7(E30 1989年)
BMWアルピナC2 2.7(E30 1989年)

インテリアでも、細部へのこだわりが印象的だったという。ダッシュボードを外し、スピードメーターとタコメーターは、針が赤く塗られたアルピナのものに入れ替えた。だが、メインディッシュは何といっても6気筒エンジンだろう。

「まるで本当の宝石のようでした。マーレ製のピストンに、オリジナルのカムシャフトとECUを用いて、ブーフローで組まれていたものです」 ベースとしていたのは、2.3などと同様にイータ・ブロック。84mmのボアと81mmのストロークのままで、排気量は2693ccだった。

専用ピストンで、圧縮比は8.5:1から10.2:1へと向上。シリンダーヘッドは、半球形の燃焼室に、大きなバルブを獲得していた。その結果得られた最高出力は、210ps/5800rpmだ。

標準のイータ・ユニット比で81psのアップなだけでなく、325i比では38psの増強。当時の注目をさらったBMW M3は、4気筒のS14エンジンから194psを絞り出していたが、それをも上回った。

馬力は自慢のネタになったが、走りを支えていたのは、大幅に増強されたトルク。アルピナC2 2.7の最大トルクは27.1kg-mに達した。一方のM3は、22.9kg-mだった。

この続きは後編にて。

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