【ラリーをマキシマム・アタック】WRCグループBを戦ったマルク・アレン 後編

公開 : 2020.05.31 16:50  更新 : 2020.12.08 11:04

世界ラリー選手権(WRC)のグループBで活躍した、ラリー・ドライバーのマルク・アレン。現在はフェラーリのテスト・ドライバーでもあります。鬼才のフライング・フィンへの、英国編集部によるインタビューです。

131アバルトからランチア037へ

text:Richard Heseltine(リチャード・ヘーゼルタイン)
photo:Motorsports Images(モータースポーツ・イメージズ)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
1976年、マルク・アレンはフィアット131アバルトに乗った。「圧倒的に良いクルマでした。124は、ラリー用に改造されたロードカー。131は反対で、成り立ちが違います。開発ドライバーのジョルジオ・ピアンタと連携し、それぞれのラリーに向けてテスト走行を重ねました」

「準備は素晴らしいものでした。ピレリからも多くのサポートを受けました。大きなステップアップになりましたね」

アレンは、1976年の1000湖ラリーで優勝。1977年にも、再びポルトガルで優勝を挙げた。ちなみに、彼はフィンランドで述べ6勝を挙げている。

1978年は、131アバルトとランチア・ストラトスHFの2台を乗り継ぎ、FIAタイトルを獲得した。「ストラトスには、何度も乗りました。イベントで結果を残せて良かったと思います。運転は簡単でしたよ。身長が高いので、いつも天井に頭をぶつけていましたけれど」

1979年は、フィアット131とランチアとの間を行き来するが、親会社から強力な武器を獲得する。新しいランチア037だ。

1982年、高い戦闘力を誇るアウディ・クワトロと、プジョー205T16と対戦することになった。「これまで運転した中で最高のクルマとはいえないにしても、気に入っていました。運転したことのないような、マシンでもありました」

「037は好きでしたが、四輪駆動ではなく、グラベル(砂利道)は苦手。ターマック(舗装路)では、信じられないほど素晴らしい走りでした。1983年と1984年のツール・ド・コルスでは勝利。その結果は、とても誇りに思います」と話すアレン。

デルタS4でプジョー205T16に挑む

「次に登場したのは、ランチア・デルタS4。まったく異なるクルマでした。四輪駆動で、より多くの馬力も備えていました。でも037ほど、運転を楽しめるクルマではありませんでした」

「1985年の終わりに、初めてデルタS4でラリーステージを走りました。プジョーと戦うことができるクルマだと、わかりました」

1986年シーズンは忘れがたいシーズンとなった。前半は努力に見合った結果を残すことができず、ラリー・スウェーデンで2位へ食い込むのがやっと。

ラリー・ポルトガルでは、多すぎる観客に対する安全策が不十分だとして、ドライバーたちから反対の声が上がる。続くコルシカ島では、ヘンリ・パウリ・トイヴォネンとコ・ドライバーのセルジオ・クレストによる死亡事故を理由に、アレンのクルマも途中で棄権となった。

モンテカルロとギリシアもリタイアとなり、WRCのタイトル争いに関わるようには見えなかった。だが、プジョーを駆るユハ・カンクネンと、22ポイント差まで詰めていた。

イタリアのラリー・サンレモは、最終レグのターマックだけが開かれた。得点で上位の、3台のプジョー205T16は主催者側との議論の末、不出場となった。

最高検査官のランフランコ・カネスキは、プジョーのアンダートレイ・プロテクションはレギュレーション違反だと判断したのだ。事実、ダウンフォースを向上させる目的があった。

ランチア・チームをまとめていたチェーザレ・フィオリオも、プジョー側の擁護にまわった。結果、アレンは勝利するものの、結果に見合った栄光にはあずかれなかった。

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