【ハイラックスが好きだ】孤高の存在 トヨタ・ハイラックスに惹かれる理由とは?

公開 : 2021.01.16 05:45  更新 : 2021.10.13 12:05

変わらない乗り味がそこに

運転してみると、あらためて驚く。「懐かしい」というか「変わっていない」のだ。インテリアとは裏腹に。

もちろん古いハイラックスに比べると乗り心地も静粛性も進化しているけれど、今どきの乗用車とは比較にならないくらい古典的な乗り味が受け継がれている。

トヨタ・ハイラックス(6代目)
トヨタ・ハイラックス(6代目)    トヨタ

しかし、ここで声を大にして言いたいのは「それがいいのだ」ということ。どことなく心が落ち着く感覚がそこにある。

昨今はモーター駆動のクルマがもてはやされていて、たしかにそのスムーズでシャープな加速感は心地いいけれど、そこから純ガソリン車に乗り換えると「こういうのが落ち着くよね」という気持ちになることはないだろうか。

妙に懐かしい乗り味のハイラックスに乗ると、そんな地に足がついたような感覚を覚えるのだ。それは「やっぱり田舎はいいなあ」みたいなノスタルジックな感覚かもしれない。時代に流されない強い信念のようなもの……と言えばやや言い過ぎかもしれないけれど。

ハイラックスの強さと自由

とはいえ、単なる「懐かしい乗り味のクルマ」だけで片付けられないのは、ハイラックスには「強さ」というバックボーンがあるからだろう。具体的には悪路走破性へのこだわりである。

車体の骨格は強靭なラダー・フレーム。4WDシステムは、古典的な副変速機付きのパートタイム式。はっきり言って古臭いし、いまどきのSUVと比べてしまえば洗練されているとは言い難い。

トヨタ・ハイラックス(初代)
トヨタ・ハイラックス(初代)    トヨタ

でも、それが悪路走破性とハイラックスのキャラクターを引き上げていることは疑いようがなく、骨太な「ヨンク」が減った今だからこそ魅力的に見えてくる。

もしかするとそれは、MT信仰と同じ心理かもしれない。クルマが便利で快適になればなるほど、どんどん自動化されて運転が楽になる。そんな状況だからこそ、ハイラックスに組み込まれるあえての古典的メカニズムにMTと同じクルマとの一体感を得る喜びを感じるのではないだろうか(日本向けハイラックスはMTがなくATだけど)。

さらに声を大にして言いたいのが、ハイラックスには自由があること。2つの自由だ。

1つは移動の自由。ハイラックスには極悪路に足を踏み入れることができる「ランドクルーザー」のような高い悪路走破性があり、それはたとえ悪路を走る機会なんてなくたって所有するだけで冒険心をくすぐる。移動の自由は本能を刺激するのだ。

もう1つはヒエラルキーから解放される自由。いま、日本で正規販売されているピックアップトラックはハイラックスのみである。すなわちライバルがいない唯一無二の存在なのだ。だから上下関係など存在せず、ヒエラルキーに縛られることがない。孤高の存在なのである。

筆者がハイラックスに惹かれる理由……それはロマンなのだろう。

道具感あふれる強靭なメカニズム、高い悪路走破性、そして、懐かしさを感じつつクルマを運転している実感にどっぷりと浸れる乗り味。そのうえ移動の自由が得られ、ヒエラルキーという閉ざされた感覚からも解放。すべてがロマンなのだ。

そしてハイラックスとは「こうでなきゃいけない」という常識から解き放し、自由への扉を開けてくれるツールではないだろうか。

記事に関わった人々

  • 工藤貴宏

    Takahiro Kudo

    1976年生まれ。保育園に入る頃にはクルマが好きで、小学生で自動車雑誌を読み始める。大学の時のアルバイトをきっかけに自動車雑誌編集者となり、気が付けばフリーランスの自動車ライターに。はじめて買ったクルマはS13型のシルビア、もちろんターボでMT。妻に内緒でスポーツカーを購入する前科2犯。やっぱりバレてそのたびに反省するものの、反省が長く続かないのが悩み。

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