【同エンジンのライバル】MGミジェットとトライアンフ・スピットファイア 1.5L 4気筒 前編

公開 : 2021.03.28 07:05

親会社が合併し、1つの傘下へ収まった2つのライバルブランド。同じエンジンが搭載されることになった、ミジェットとスピットファイアを英国編集部がご紹介します。

もくじ

北米市場に合わせられたミジェット
黒いバンパーを付け車重はさらに増加
トライアンフ製のエンジンを押し込む
クルマを着るような感覚

北米市場に合わせられたミジェット

text:Alastair Clements(アラステア・クレメンツ)
photo:Olgun Kordal(オルガン・コーダル)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
ライバル関係にあった2つの老舗ブランドは、経営上の理由から同じ親会社の傘下に収まった。片方が存亡の危機に陥ると、もう一方は救うために重要な部分の共有を余儀なくされた。

安直なテレビドラマのシナリオではない。英国の自動車産業では珍しくなかった、ブランド買収のややこしい話しの1つに過ぎない。

MGミジェット1500とオーナーのスティーブ・ブラウン
MGミジェット1500とオーナーのスティーブ・ブラウン

今以上に混沌としていた時代、欧州へやって来たアメリカ軍は英国製スポーツカーの喜びを発掘。任務を解かれ故郷へ帰る時がくると、お気に入りのモデルを持ち帰った。英国にとって、アメリカの自動車需要は注目の的になった。

その筆頭となったのが、MGミジェットのTタイプ。アメリカのクルマ好きの心を掴み、工場から出荷される大半が大西洋を超えて北米大陸へ輸出された。

アラードやジャガー、トライアンフなども、すぐにその流れに乗る。英国の国内需要が冷え切る中で、輸出するか消滅するか、と揶揄されるほどアメリカ市場は重要な存在になっていた。

1961年、オースチン・ヒーレー・スプライトの兄弟モデルとしてMGミジェットが誕生。生産台数の76%は、自由の国、アメリカで売られた。クルマをアメリカの法規に準拠させることは、不可避だった。

ダッシュボードにはソフトパッドが付き、ボディサイドにはウインカーが付けられた。当初は控えめな変更で済んでいたが、法規が厳しくなるにつれて修正部分も増大していく。

黒いバンパーを付け車重はさらに増加

小さなミジェットは変更が重ねられ、1974年10月のMk4、1500には巨大で重いポリウレタン樹脂のバンパーが与えられた。可憐な妖精がボクシンググローブを付けたような、可愛そうな見た目に見えたのは筆者だけではなかったはず。

ミジェットは、徐々に車重も増えていった。そこへ黒いバンパーがぶら下がり、さらに45kgを上乗せした。だがMk3までは、増える車重へ合わせるようにAシリーズ・ユニットのパワーも増加し、大きな問題にはならなかった。

MGミジェット1500(1974-1979年)
MGミジェット1500(1974-1979年)

Mk1が搭載する948ccの4気筒エンジンは47psを発揮していたが、1962年にライバルのトライアンフ・スピットファイアが発表されると、1098ccへ拡大され55psを獲得。同時にフロントへディスクブレーキも採用されている。

2年後、Mk2では4psがプラス。サイドウインドウは巻き上げ式にアップデートされた。1966年にはMk3が登場し、Aシリーズ・ユニットは1275ccへ拡大。ミニ・クーパーS譲りのエンジンで、最高出力は66psに届いている。

このMk3はMGミジェットのスイートスポットといえる。ソフトトップだけでなく、ハードトップも選択できた。

信頼性に優れ、環境負荷も充分に優しいクルマだった。だが、Mk4ではさらに車重が増え、エンジンの力不足は否めなかった。

そこでMGの親会社、ブリティッシュ・レイランドは大胆な決断をする。1968年1月、レイランド・モータース社とブリティッシュ・モーター・ホールディングス社は合併。トライアンフとMGは1つの傘下にあったのだ。

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