エンジンはDB5 ヴァンテージ仕様 アストン マーティンDB4 価値あるモディファイ 前編

公開 : 2022.03.26 07:05

アストン マーティンの技術者が所有していた、アイス・ブルーのDB4。個性豊かな1台を、英国編集部がご紹介します。

DOHC直列6気筒エンジンの開発者

アストン マーティンDB4のDOHC直列6気筒エンジンを設計した、技術者のタデック・マレク氏。デイビッド・ブラウン氏のオーナー時代にブランドを成功へ導いた、立役者の1人だった。

新モデルの生産準備を整えた彼は、1965年に1台のDB4を自らのものとした。そのクルマは、優れたレーシングドライバーでもあった自身の好みに合うように、スキなくアップグレードが施された。

アストン マーティンDB4 シリーズ1(タデック・マレク仕様/1959年)
アストン マーティンDB4 シリーズ1(タデック・マレク仕様/1959年)

厳密には、このアイス・ブルーのアストン マーティンはオリジナル状態と異なる。しかし、ブランド・ディテクターともいえた彼の手によって再編集されたDB4には、興味を抱かずにはいられない。

KKX 4Cのナンバーをぶら下げた1台は、いわばDB4のディテクターズ・カット版。価値あるクラシックであることは、疑いようがないだろう。

1958年のロンドン・モーターショーで発表されたDB4は、高品質で高性能なグランドツアラーという、ブランドの方向性を確立したモデルだった。英国発のスーパーカーでもあった。

最高出力243psを発揮する直6エンジンをフロントに搭載し、3.54:1のリアアスクル・レシオから最高速度225km/hを実現。車重1393kgのDB4は、当時の量産4シーター・モデルでは世界最速を誇った。

英国車的なパッケージングでありながら、イタリアのカロッツエリアが協力した妖艶なスタイリング。それに欠かせなかった心臓こそ、タデックが設計したエンジンだった。後に彼は、さらに長寿命となった5.3LのV8エンジンも開発している。

モータースポーツでも戦える能力

1908年にポーランド南部のクラクフで生まれたタデックは、第二次大戦が勃発すると、1941年に連合軍の1人として渡英。モロッコ・カサブランカでの脱出作戦など、いくつかの難しいミッションをこなした。

終戦後は、ロンドン北部へ定住。ペギーという名の女性と出会い、結婚している。しばらくセンチュリオン戦車の開発に関わっていたが、オースチン・モーター社を経て、まだロンドン西部のフェルサムに拠点があったアストン マーティンへ1953年に入社した。

アストン マーティンDB4 シリーズ1(タデック・マレク仕様/1959年)
アストン マーティンDB4 シリーズ1(タデック・マレク仕様/1959年)

才気溢れるタデックは、戦前にはアメリカのゼネラル・モーターズや、ポーランドのフィアット支部で力を発揮。その後、イタリア・トリノのフィアット本社へ転勤している。

ドライビングスキルにも長け、1937年にはラリー・モンテカルロを完走。設計者でありながら、モータースポーツを戦える能力の持ち主は、当時でも珍しい存在といえた。ドイツ・ベルリンに存在したアヴス・サーキットでは、大クラッシュも経験していた。

アストン マーティンのチーフエンジニアとしての地位を、他者へ譲りたいと考えていたデイビッド。タデックは彼を訪ね、戦時中にトランスミッションで急成長を遂げたデイビッド・ブラウン社の製品の不備を大胆にも指摘し、採用が決まったという。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジョン・ブラッドショー

    John Bradshaw

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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