ピニンファリーナの美しいデザイン 35選 大衆車からスーパーカーまで

公開 : 2022.03.26 06:05

カロッツェリア・ピニンファリーナが生み出した伝説的な自動車を紹介。今見ても色褪せない不動の名車です。

90年以上の歴史 傑作選

1930年にバッティスタ・ピニン・ファリーナによって設立されたカロッツェリア・ピニンファリーナ社は、他のどのデザイン会社よりも美しい自動車を生み出してきたと言えるだろう。

現在インドのマヒンドラ社が所有するピニンファリーナは、アルファ・ロメオフェラーリプジョーとの関係でもよく知られている。ここでは、ピニンファリーナの代表的なデザインの数々を紹介しよう。

ピニンファリーナは設立以来、安価なコンパクトカーから夢のようなスーパーカーまで、さまざまな自動車デザインを手掛けてきた。
ピニンファリーナは設立以来、安価なコンパクトカーから夢のようなスーパーカーまで、さまざまな自動車デザインを手掛けてきた。

1935年:アルファ・ロメオ6Cペスカーラ

アルファ・ロメオ6C 2300をベースに、テオ・ロッシ伯爵(Count Theo Rossi di Montelera)のために製作されたワンオフモデルがペスカーラ。この年のミラノ・モーターショーで発表されたペスカーラは、同時代の自動車と比べても驚異的なエアロダイナミクスを誇っていた。

1935年:アルファ・ロメオ6Cペスカーラ
1935年:アルファ・ロメオ6Cペスカーラ

1936年:ランチア・アストゥーラ

最高出力83psの2972cc V8エンジンを搭載し、わずか6台しか製造されなかったゴージャスなオープンカー。最初期の電動格納ルーフを備えたモデルでもある。

1936年:ランチア・アストゥーラ
1936年:ランチア・アストゥーラ

1947年:チシタリア202

1946年にレーシングカーの製造を開始したチシタリアは、そのわずか1年後に最初のストリートモデルを発表した。まだ多くの新車デザインが戦前の原則に則っていた当時、2シーターの202は革命的な存在であった。1947年から1952年にかけて、170台が生産されている。

1947年:チシタリア202
1947年:チシタリア202

1952年:ナッシュ・ヒーレー

1951年に登場したナッシュ・ヒーレーは、美しいというより「興味をそそる」ようなデザインで、戦後の米国初のスポーツカーと謳われた。しかし、1952年にはピニンファリーナのデザインにより、ナッシュらしいルックスを持つモデルが発売された。

1952年:ナッシュ・ヒーレー
1952年:ナッシュ・ヒーレー

1955年:アルファ・ロメオ・ジュリエッタスパイダー

ジュリエッタにはセダン、クーペ、ワゴンと一通りのモデルがあったが、ピニンファリーナがデザインしたのはスパイダーだけである。当初は1290ccのツインカムエンジンを搭載していたが、1962年に1570ccエンジンのジュリアへと進化を遂げた。

1955年:アルファ・ロメオ・ジュリエッタ・スパイダー
1955年:アルファ・ロメオ・ジュリエッタ・スパイダー

1953年:フィアット1100TV

1953年、フィアットは1100のセダン、ワゴン、コンバーチブルを導入したが、クーペの製作はピニンファリーナに依頼した。ピニンファリーナは、1100のスポーツ仕様である1100 TV(トゥーリスモ・ヴェローチェ)をベースにクーペを設計。1954年から1956年にかけて、約780台が製造された。

1953年:フィアット1100TV
1953年:フィアット1100TV

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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