創業者が堪能した試作ボディ オースチン・ヒーレー100S クーペ 2660ccの4気筒 前編

公開 : 2022.12.18 10:40  更新 : 2022.12.18 11:28

2例だけ試作された、オースチン・ヒーレー100Sのクーペ。創業者が愛情を込めた1台を、英国編集部がご紹介します。

腕利きドライバーだったドナルド・ヒーレー

グレートブリテン島の南西にある、海に面したペランポース。ドナルド・ヒーレー氏が生まれた小さな町だ。中部のワーウィックに自身のスポーツカー・ブランドを立ち上げてからも、定期的に里帰りしていたという。

コッツウォルズを抜けウィルトシャーへ進み、小さなエセクターという町を過ぎれば、今も変わらず見事な景観とともに佇んでいる。約400kmという道のりの相棒になったのは、オースチン・ヒーレー100Sの貴重なクーペだった。

オースチン・ヒーレー100S クーペ(1953年/英国仕様)
オースチン・ヒーレー100S クーペ(1953年/英国仕様)

1931年のラリー・モンテカルロで優勝するなど、腕利きドライバーだったドナルドにとっても素晴らしいルートだったのだろう。「100S クーペの走りを楽しめるので、好んで長距離移動をしていました」。孫のピーター・ヒーレー氏が回想する。

「当時は最高速度の制限が緩く交通量も少なかったですから、かなり短い時間で到着していたようです。高速道路が敷設される前でしたが、今以上に長い時間は掛かっていなかったでしょう」

今回ご紹介する真っ赤な100S クーペは、まさに彼がステアリングホイールを握っていたクルマそのもの。カーデザイナーのジェリー・コーカー氏が考案し、試作された2種類のクーペボディをまとう1台でもある。

100Sの開発車両として、機械的なアップグレードの試験にも用いられてきたという。クラシックカーとして、重要な歴史が詰まっている。

ロードスターをクーペにコンバージョン

シャシー番号142615の100Sは、1953年8月に完成。ロードスターのボディに、ジェンセン社のアルミニウム製ハードトップをまとって、当時のヒーレー・モーター社自体へ納車される形が取られた。

ワーウィックの工場では、2660cc 4気筒エンジンのル・マン用アップデート・キットや特別なサスペンション・スプリングなど、いくつかのツーニングを実施。その後、ディック・ガリモア氏が率いるオースチンの開発部門で、ハードトップが加工された。

オースチン・ヒーレー100S クーペ(1953年/英国仕様)
オースチン・ヒーレー100S クーペ(1953年/英国仕様)

クーペボディへコンバージョンされた100Sは、12月にONX 113としてナンバーを取得。記録簿には、サルーンと記されているのが今でも確認できる。

もう1台作られたクーペは、1953年の後半に製造されたシャシーをベースとしていたが、コンバージョンされた時期はほぼ同じ。こちらは、OAC 1のナンバーで登録されている。

ヒーレー・モーター社の技術者だったジェフ・ヒーレー氏は、ONX 113に対して次のように言葉を残している。「作られた当初から、ブレーキや追加するモデル開発へ積極的に活用されていました」

100Sの第一人者として知られる、ジョー・ジャリック氏が説明する。「初めからスペシャル・テスト・カー・プログラムの1台だったようです。多くのアップグレードが施されていました」

「技術的な造詣が深いドナルドさんは、実践的に走ってクルマを開発していました。彼とジェフさんとでアイデアやフィードバックのやり取りが繰り返され、モデルへ落とし込まれていたんです」

記事に関わった人々

  • 執筆

    ジェームズ・ページ

    James Page

    英国編集部ライター
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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