マニア心を刺激する魅力 アルファ・ロメオ2000 スプリント ブリストル406 不遇のクーペ 前編

公開 : 2023.07.16 07:05

1960年代に登場した、2台の高級4シータークーペ。生産1000台にも満たない希少モデルの魅力を、英国編集部が比較します。

自動車製造への意欲が薄れたブリストル

クルマの動力性能や見た目の華やかさだけに注目するなら、アルファ・ロメオ2000 スプリントやブリストル406には、強い魅力を感じないかもしれない。低くないクラシックカーとしての価値を、実感しにくいはず。

実際のところ、現役時代だった1960年代初頭でも、半額以下の価格で優れた性能と容姿を兼ね備えた4シータークーペを選ぶことはできた。特に英国のジャガーは、それを叶えていた。

ブルー・シルバーのブリストル406と、シルバーのアルファ・ロメオ2000 スプリント
ブルー・シルバーのブリストル406と、シルバーのアルファ・ロメオ2000 スプリント

6気筒エンジンを搭載したフォードや英国オペルヴォグゾールのサルーンでさえ、160km/h以上の最高速度を既に実現していた。自動車の性能が底上げされ、ブリストルやアルファ・ロメオといった、上級ブランドの価値は低下傾向にあったことは確かだ。

とはいえ、この2台には評価すべき素性がある。当時と今とでは、受け止められ方も大きく違っている。

1958年に発売されたブリストル406は、第二次大戦前にBMWが有していた直列6気筒エンジン技術を応用したクーペ。タイプ110と呼ばれるユニットは、トリプル・ソレックスキャブレターによる鋭いレスポンスを備え、2216ccから106psを発揮した。

しかし、特徴的なスタイリングの2ドアクーペ・ボディを製造したのは、ロンドンに拠点を置くコーチビルダー、ジョーンズ・ブラザーズ社。ブリストル・カーズの工場ではなく、自動車製造に対する意欲が薄れつつある姿勢を現していた。

ジウジアーロが描いた滑らかなスタイリング

406が細々と作られる裏で、モノコックの前身といえるユニボディ構造を想定した次期モデルは、開発が中止。英国政府が介入し組合協定が組まれるなど、ブリストル・カーズの未来には暗雲が立ち込めていた。

さらに親会社のブリストル・エアロプレーン社は、超音速旅客機のコンコルド用エンジンを共同開発する目的で、ブリストル・シドレー社を設立。航空宇宙部門へ主力事業は再びシフトしようとしていた。

アルファ・ロメオ2000 スプリント(1960〜1962年/欧州仕様)
アルファ・ロメオ2000 スプリント(1960〜1962年/欧州仕様)

高級サルーン、アームストロング・シドレー・サファイアのエンジンを流用した406の派生モデルも、計画は棚上げにされた。それでも、406はV8エンジンを載せた407へ1961年にモデルチェンジされ、2ドアクーペの提供が絶たれることはなかった。

他方、シルバーのアルファ・ロメオは、一般的には6気筒エンジンの2600 スプリントとして知られているモデルだろう。まだ若かった、デザイナーのジョルジェット・ジウジアーロ氏がベルトーネ在籍時代に描き出した、滑らかなスタイリングが目を引く。

だが、このボディで先に発表されたのは、1960年の2000 スプリント。1958年にアルファ・ロメオ1900の後継モデルとして登場したティーポ102、2000 ベルリーナとスパイダーの派生版だった。

グランドツアラーとしてデザインされ、裕福なオーナーが運転を楽しむドライバーズクーペだった。406と同じく。

英国へは、1962年の2600 スプリントから正式に導入されている。2000 スプリントは、輸入関税も踏まえると、価格帯から殆ど関心を示されなかっただろう。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジェイソン・フォン

    Jayson Fong

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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