ベントレーMkV コーニッシュ(2) 設立100周年へ向けた再現 残されていたオリジナル図面

公開 : 2024.02.24 17:46

戦争で破壊されたベントレー・コーニッシュ・プロトタイプ 歯科医師が描き出した曲線美のボディ 精巧なリクリエーション・モデルを英国編集部がご紹介

残されていたオリジナルの図面

ベントレー・コーニッシュのリクリエーションが現実味を帯びたのは、2000年代初頭。ベントレーMkVのシャシーが偶然発見され、エンジンとドライブトレインが復元されると、具体的なプロジェクトが進み始めた。

ボディの再現で大きく貢献したのが、スタイリングを担当したジョルジュ・ポーラン氏の家族。彼が手掛けた資料をしっかり保管しており、フランスにオリジナルの図面も残されていたのだ。

ベントレーMkV コーニッシュ・リクリエーション(1939年式の再現モデル)
ベントレーMkV コーニッシュ・リクリエーション(1939年式の再現モデル)

これにより、正確なボディ製作が可能になった。パネルをハンマーで叩き出し、イングリッシュ・ホイールというマシンで曲面を成型する、伝統的な手法で。

仕事を任されたのは、グレートブリテン島南部、ハンプシャー州に拠点をおくコーチビルダー、アシュリー&ジェームス社。果たして、素晴らしい結果が導かれた。

完成までは順調ではなく、一時は資金が底をついてしまう。そこで支援を名乗り出たのが、ベントレー。現在もCEOを務める、エイドリアン・ホールマーク氏はコーニッシュの重要性を理解していた。

2019年に迎える、設立100周年記念式典へ間に合わせるという条件が出されたが、ベントレー・ヘリテージ・コレクションが車両を購入。ボディの細かなトリムや塗装、インテリアの再現に、ブランドが持つリソースが投じられた。

インテリアの写真は、最後まで発見されなかった。オリジナル・ボディを製作したパリのコーチビルダー、ヴァンヴァーレン社を研究し、ベントレーではインテリアデザインの責任者を務める、ダレン・デイ氏の知見が活きた。

全長の半分近くを占めるボンネット

ウインドウ部分がヘザー・グレーで縁取られた、インペリアル・マルーンのボディは強い心象を残す。斜めからが特に美しい。1930年代後半の雰囲気が香るスタイリングは、明確な流線型というわけではない。1950年代には、古びて見えたかもしれない。

フロントでは、カバーで覆われたヘッドライトと傾斜したフロントグリルのアウトライン、その両脇で輝くエアインテーク・スリットへ、目が惹きつけられる。アウトバーンでは、空気抵抗を抑える効果を実感できたに違いない。

ベントレーMkV コーニッシュ・リクリエーション(1939年式の再現モデル)
ベントレーMkV コーニッシュ・リクリエーション(1939年式の再現モデル)

ボンネットは非常に長く、全長の半分近くを占めている。そのボリューム感は、カーブを描き後方へ絞られる、フロントフェンダーが強調している。ドア下のランニングボードは省略され、ヴァンヴァーレン社らしくリアドアはリアヒンジで開閉する。

2分割されたフロントウインドウは狭い。小さなリアウインドウには、ドライバーで操作できるブラインドが備わる。

ガソリンタンクは16ガロン。左右のリアフェンダー上に、給油リッドが備わる。水滴状のテールライトが、バンパー横の低い位置へ配されている。

トランクリッドは、スプリング内臓のストラットで開閉し、自動でロックされる。上質な木製フロアの荷室はさほど広くなく、下にスペアタイヤが収まる。長期旅行の際は、荷物を鉄道で別に送る必要があったかもしれない。車載工具も、綺麗に再現された。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジョン・ブラッドショー

    John Bradshaw

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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